Duke Ellington & Johnny Hodges “Side By Side”(1959)を聴いて思ふ

谷崎潤一郎が小説の中で採り上げるくらいだから、彼の音楽が当時からいかに世界的だったか。永遠普遍の作品は、今もって光彩を放つ。

「ラ、ラ、ラララ」
と、ナオミは一と際高い調子で、拍子を取って歩いていました。
「浜さん、あんた何がいい? あたしキャラバンが一番好きだわ」
「おお、キャラバン!」
と、菊子が頓狂な声で云いました。
「素敵ね! あれは」
「でもわたくし、―」
と、今度は綺羅子が引き取って、
「ホイスパリングも悪くはないと存じますわ。大へんあれは踊りよくって、―」
「蝶々さんがいいじゃないか、僕はあれが一番好きだよ」
そして浜田は「蝶々さん」を早速口笛で吹くのでした。
谷崎潤一郎著「痴人の愛」(新潮社)P161-162

エリントンの音楽はある意味「能天気」だ。しかしながら、人々の遊びの精神を喚起する色気がある。このシーンの直後の河合譲治の思考。

何だ? これがダンスと云うものなのか? 親を欺き、夫婦喧嘩をし、さんざ泣いたり笑ったりした揚句の果てに、己が味わった舞蹈会と云うものは、こんな馬鹿げたものだったのか? 奴等はみんな虚栄心とおべっかと己惚れと、気障の集団じゃないか?―
が、そんなら己は何の為めに出かけたのだ? ナオミを奴等へ見せびらかすため?―そうだとすれば己もやっぱり虚栄心のかたまりなのだ。ところで己がそれほどまでに自慢していた宝物はどうだったろう!
~同上書P162-163

人間誰しも虚栄心の塊ゆえ、否定せずとも良かろう。

・Duke Ellington & Johnny Hodges:Side By Side (1959)

Personnel
Duke Ellington (piano)
Johnny Hodges (alto saxophone)
Harry “Sweets” Edison (trumpet)
Les Spann (flute, guitar)
Al Hall (bass)
Jo Jones (drums)
Roy Eldridge (trumpet)
Lawrence Brown(trombone)
Ben Webster (tenor saxophone)
Billy Strayhorn (piano)
Wendell Marshall (bass)

エリントンにももちろん虚栄はあった。

音楽は、私にとって道楽だ。だから、オーケストラを持つ必要があるんだ。それは、一種の虚栄だ。私の場合、オーケストラの演奏を聴かなければ、始まらない・・・私の音楽は、“円熟味がある” と言われる。それはたぶん、食べ物に胡椒やカレー粉を加えるようなものだ。つまり、音楽的なアイデアやスパイスを加えるんだ。そうして、味のよい音楽を提供する。悩みどころを言えば、リズムの選択だ。
Harvey G. Cohen “Duke Ellington’s America” 訳:中山啓子

悩むならば、それは道楽ではなく立派な仕事だ。ひとりでも多くの人に喜んでもらいたいという想いに溢れるから人は悩むのである。

ホッジスの作である”You Need to Rock”は、どこかで聴いたことのある節に満ちる。この平和で空想的な音楽に触発され、心は揺れ、身体は自ずと踊り出す。
また、エリントン作の”Stompy Jones”では、ホッジスのアルトとエディソンのミュート付トランペット、スパンのギターが順にソロを取り、各々の超絶テクニックによって音楽が縦横に飛翔する。

有望なミュージシャンは、常に新しいものに挑戦する。私たちは夢を持ちたいんだ。頂上を目指したい。私の人生は音楽一色だ。ひたすら音楽に打ち込んできた。他に、これといった興味もない。私は音楽中毒だと言えよう。貪欲な耳を持ち、シャープとフラットを使い果たす。そして1年365日、バンドを統率する立場にある。
~同上書

音楽家に限らず、挑戦者には未来がある。
デューク・エリントン万歳!

 

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4 COMMENTS

岡本 浩和

>雅之様

彼のあの平常心はすごいですね。
どこまで行くのでしょうか。

>E2-E4 マニュエル・ゲッチング

素晴らしい!さすがです。

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