ベーム指揮バイロイト祝祭管のワーグナー楽劇「ワルキューレ」(1967.7&8Live)を聴いて思ふ

「出て行け!」
たった一言、自分の耳ががんとする程怒鳴ったきり、私も二の句が継げなければナオミも何とも返辞をしません。二人はあたかも白刃を抜いて立ち向った者がピタリと晴眼に構えたように、相手の隙を狙っていました。その瞬間、私は実にナオミの顔を美しいと感じました。女の顔は男の憎しみがかかればかかる程美しくなるのを知りました。カルメンを殺したドン・ホセは、憎めば憎むほど一層彼女が美しくなるので殺したのだと、その心境が私にハッキリ分りました。ナオミがじいッと視線を据えて、顔面の筋肉は微動だもさせずに、血の気の失せた唇をしっかり結んで立っている邪悪の化身のような姿。―ああ、それこそ淫婦の面魂を遺憾なく露わした形相でした。
谷崎潤一郎著「痴人の愛」(新潮文庫)P273-274

駆け引きなどこの際止めて素直になれば良いのにと思うが、人間の性というもの、それほど容易いものではない。愛情が深ければその分憎悪も大きくなる。小説の中では、河合譲治はあくまでナオミの肉体にこそ惚れ込んでいるという設定であるが、しかし、精神的なつながりがなければそこまでののめり込みというのはない。河合は明らかに(そして異常に)ナオミを愛しているのである。

ワーグナーの楽劇「ワルキューレ」の第2幕は、「指環」の中核に位置し、物語はもちろんのこと、音楽的にもとても充実した内容を持つ。ここでは、それこそ父ヴォータンと娘ブリュンヒルデの、それぞれの思惑のぶつかりがあり、また駆け引きがある。
駆け引きあればこそのドラマ。
しかしながら、夫婦は赤の他人ゆえまだ良い。実の父娘の腹の探り合いの醜さよ。

第2場最後、(指環の呪いの影響からか)ヴォータンのあまりの高圧的な姿勢にブリュンヒルデは嘆く。

今日のようなお父さまは見たことがない。
これまでも諍いで、お腹立ちのことはあったけれど。
武具が重たく
のしかかるよう!
喜び勇んで、戦に臨んだときには
あんなに軽かったのに!
今日は気の重い戦、
足どりもおぼつかない。
ああ、可哀そうなヴェルズング!
命の瀬戸際だというのに
後ろ楯の私があなたを裏切るなんて。
日本ワーグナー協会監修/三光長治・高辻知義・三宅幸夫・山崎太郎編訳「ワルキューレ」(白水社)P75

1967年、バイロイト音楽祭でのカール・ベームの、有名な実況録音。
ここでのビルギット・ニルソン扮するブリュンヒルデの感情のこもった歌唱は真に素晴らしい。関係の難しさやそれにまつわる感情の浮沈など、表現はどの瞬間もリアルで、心を揺さぶられずにいられない。

・ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」
ジェームズ・キング(ジークムント、テノール)
レオニー・リザネク(ジークリンデ、ソプラノ)
ゲルト・ニーンシュテット(フンディング、バス)
ビルギット・ニルソン(ブリュンヒルデ、ソプラノ)
テオ・アダム(ヴォータン、バリトン)
アンネリース・ブルマイスター(フリッカ、ジークルーネ、メゾ・ソプラノ)
ダニカ・マステロヴィッツ(ゲルヒルデ、ソプラノ)
ヘルガ・デルネシュ(オルトリンデ、ソプラノ)
ゲルトラウト・ホップ(ヴァルトラウテ、アルト)
ジークリンデ・ワーグナー(シュヴェルトライテ、アルト)
リアーネ・ジーネック(ヘルムヴィーゲ、ソプラノ)
エリーザベト・シェルテル(グリムゲルデ、メゾ・ソプラノ)
ソナ・ツェルヴェナ(ロスヴァイセ、アルト)
カール・ベーム指揮バイロイト祝祭管弦楽団(1967.7.23&8.10Live)

管弦楽は、実演のベームならではの激性。
音楽は絶えず動き、揺れる。そして、速めのテンポで音楽は前に前にと突進する。
第2幕前奏曲もさることながら、第1幕前奏曲の真実味!!途中、(おそらく)ウィンドマシーンによる風の音の被る箇所が余計にリアリティを増幅する。
リザネクのジークリンデの哀感を帯びた声、また、キングのジークムントの汚れのない清らかな声に痺れ、・・・どこをどう切り取っても本当に美しい。

とはいえ、第3幕最後の「ヴォータンの告別」のシーンは、アダムの声が少々軽く感じられ、慈悲深い愛情がわずかに残っていたヴォータンの心の機微を表現するのに正直少々物足りなさを僕は覚えるのである。

私のナオミを恋うる心は加速度を以て進みました。もう日が暮れて窓の外には夕の星がまたたき始め、うすら寒くさえなって来ましたが、私は朝の十一時からご飯も食べず、火も起さず、電気をつける気力もなく、暗くなって来る家の中を二階へ行ったり、階下へ降りたり、「馬鹿!」と云いながら自分で自分の頭を打ったり、空家のように森閑としたアトリエの壁に向いながら「ナオミ、ナオミ」と叫んでみたり、果ては彼女の名前を呼び続けつつ床に額を擦りつけたりしました。もうどうしても、どうあろうとも彼女を引き戻さなければならない。己は絶対無条件で彼女の前に降伏する。彼女の云うところ、欲するところ、総べてに己は服従する。
谷崎潤一郎著「痴人の愛」(新潮文庫)P282-283

男は馬鹿な生きものだ。

 

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2 COMMENTS

岡本 浩和

>雅之様

現代にも「痴人の愛」のような話が実際にあるんですね・・・。
というか、いつの時代も譲治とナオミのような関係が繰り返されているのでしょう。(表沙汰にならないだけで)

「監督失格」は観ておりませんが、amazonのレビューを見る限りにおいて、観るのが怖いですね。(笑)
ご紹介ありがとうございます。

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