デュトワ指揮モントリオール響のベルリオーズ「幻想交響曲」(1984.5録音)ほかを聴いて思ふ

唐突だけれど、仏教思想でいうところの金剛界の幻想。他方、胎蔵界の現実性。
男は常に夢みる生きもので、女は常に今を生きる生きものだ。
女の仕組む駆け引きに翻弄される男という図式は、古今東西の常套。男は女の掌に乗ってこそ活きるもの。女の計算には敵うまい。

人間と云うものは一遍恐ろしい目に会うと、それが強迫観念になって、いつまでも頭に残っていると見え、私は未だに、嘗てナオミに逃げられた時の、あの恐ろしい経験を忘れることが出来ないのです。「あたしの恐ろしいことが分ったか」と、そう云った彼女の言葉が、今でも耳にこびり着いているのです。彼女の浮気と我が儘とは昔から分っていたことで、その欠点を取ってしまえば彼女の値打ちもなくなってしまう。浮気な奴だ、我が儘な奴だと思えば思うほど、一層可愛さが増して来て、彼女の罠に陥ってしまう。ですから私は、怒れば尚更自分の負けになることを悟っているのです。
谷崎潤一郎著「痴人の愛」(新潮文庫)P376

すべて人間は女の胎から生まれ出ずるということ。男は所詮弱い。
そういう男を描いた一篇の交響曲は、その時代の前衛であり、現代においても真新しさを失わない傑作である。1830年のパリ、「幻想交響曲」。

「幻想交響曲」はアルナルとアダンによる間奏曲の形式で書かれることになっていました。アダンはグロテスクな交響曲を書き、そのなかで私の管弦楽法の風刺をしていました。アルナルは作曲者である私に、それを繰り返し演奏してみせていたのです。私は音楽家に向けて音楽の表現力について演説をおこない、オーケストラはすべてを表現し、語り、教えることができ、「ネクタイを締めるこつさえも」そうだと語りました。
エクトル・ベルリオーズ著/森佳子訳「音楽のグロテスク」(青弓社)P298

大袈裟なまでの妄想がベルリオーズの真骨頂。
件の交響曲をシャルル・デュトワがモントリオール響相手に丁々発止で挑む様が何とも素晴らしい。

ベルリオーズ:
・幻想交響曲作品14(1830)(1984.5.10-12録音)
・序曲「ローマの謝肉祭」作品9(1843)(1995.5&10録音)
・序曲「海賊」作品21(1984.5.10-12録音)
・序曲「宗教裁判官」作品3(1827)(1995.5&10録音)
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団

第1楽章「夢、情熱」、正確なアンサンブルから紡ぎ出されるその名の通りの「幻」。女に恋い焦がれる男の夢は果てしなく、その心情を見事に音化したベルリオーズの天才。続く、第2楽章「舞踏会」は、不穏でありながら極めて愉しく美しい旋律の宝庫。また、第3楽章「野の風景」は、この交響曲のひとつの頂点を成しており、これほど精密に自然を描写したのはベートーヴェンに匹敵する。それはデュトワの思い入れたっぷりの棒のお陰でもあるが、何という優しさよ。さらに、おどろおどろしく爆発する第4楽章「断頭台への行進」の素晴らしさ。何より第5楽章「魔女の夜宴の夢」の「怒りの日」のモチーフが顕れてからの有機的な絡み、音楽の一層の昇華は心地良い。

尊大ぶった二人の悪魔と、それに劣らぬ異形な女性の悪魔が一人、昨夜、地獄がそこを経て睡りに落ちている人間の弱点に攻撃を試み、彼と秘かに交通する、あの神秘の階段を登ってきた。そして彼らは私の前に来て、恰も演壇に現れたように堂々と立ちはだかった。闇黒の夜の奥から、こうして抜け出してきた三人の躰躯からは、硫黄質の輝きが放射していた。彼らは最初私がそれを見て、三人とも真の神であると思いこんだほど、権威に満ちた鷹揚な態度を示していた。
「誘惑―或は恋の神、富の神、名誉の神―」
ボードレール/三好達治訳「巴里の憂鬱」(新潮文庫)P75

ボードレールの革新の源はおそらくベルリオーズなのだろう。
内なる悪魔をいかに上手く表現し得るのか。デュトワのベルリオーズはその意味では弱い。
しかし、これくらい洗練されるならベルリオーズのひとつの側面として大いにあり。
ちなみに、付録の序曲は、「幻想」に較べて残念ながら質が落ちる(と思う)。能天気さがいかにも当時のパリの(憂鬱でない)表面的な明るさを強調しているようで、何だかフランツ・リストのの音楽を髣髴とさせる。

 

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2 COMMENTS

雅之

>男は常に夢みる生きもので、女は常に今を生きる生きものだ。

「ハイレベル生物 I・II 問題演習50 ― 代々木ゼミナール」の一読をおすすめしたいです。

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%9E%E3%83%AB_SEX%E3%81%AE%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E5%BF%AB%E6%84%9F%E5%9F%BA%E6%BA%96-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%BB%A3%E3%80%85%E6%9C%A8-%E5%BF%A0/dp/4877288287/ref=pd_sim_74_2?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=PJWJ558MYEQXJQN3Q1EF

問題文から可能な限り情報を収集し、推理し、考察することを目標として編集されている本です。問題編は、「細胞・組織」「代謝」「発生」「遺伝」「遺伝子」「反応と調節」「生態」「進化・系統」の8分野、50題の問題で構成、解答編は、「解答」「こう考える!」「攻略法」から構成されており、勉強になりました。

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岡本 浩和

>雅之様

相変わらずの雅之さんの視点に脱帽です。
しっかり勉強させていただきます。

谷崎の文学もベルリオーズの音楽も、はたまたボードレールの散文詩も、
すべての芸術の源はセックスにあるのだろうと思います。
ありがとうございます。

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