「ぼくも、はじめはそうした人々を許しました。努めて同調しようとしました。しかしそのうち信徒たちの鈍感さ、無知、饒舌、わずらわしい干渉、愚鈍な熱心さに我慢できなくなってきました。その全体が、大司教の平然とした顔が象徴するような虚偽で覆われているような感じがしたのです」
ユリアヌスが口をつむぐと、ガルスは腕組みをほどき、弟の肩に手をのせた。
「お前はなぜ大帝がキリスト教徒を公認したか、知っているか」と訊ねた。
「キリスト教に帰依されたからではありませんか」
ユリアヌスはおどおどと言った。
「それもあるだろう」ガルスは弟の肩に置いた手に力をこめた。「だが、大帝がキリスト教を公認したのは、このがたがたになったローマ帝国に、もう一度、しっかりした箍を嵌めようと思ったからだ」
~辻邦生著「背教者ユリアヌス(上)」(中公文庫)P291-292
人間の作った世界に「絶対」はない。型に嵌めるなど本来不可能。こういう言い方が正しいのかどうかはわからないが、信仰を利用し、人心を操作、組織を治めるのは確かに容易い。しかし、そんなものは一時しのぎに過ぎず、自然の理に反していれば最終的には間違いなく崩壊するのである。
ちなみに、朝比奈隆は、「背教者ユリアヌス」というエッセイで次のように語る。
「こんな壮大なロマンをつくる日本の作家がいたのか」―これが半ば読み進んだ時の私のうけたショックにも似た感銘だった。
それは青年時代にメレジコフスキーの「背教者」や「神々の復活」に圧倒され魅了された若い血のおどるのに近いものだった。またそれは、初めて井上靖の初期の「西域物」に接した時の雲の彼方を思うようなよろこびにも似ていた。
~朝比奈隆著「この響きの中に―私の音楽・酒・人生」(実業之日本社)P162
男は正解を求め試行錯誤を繰り返す生きもので、朝比奈が辻邦生のこの長尺な絵巻物語に魂を奪われたのはわからないではない。
ところで、僕は朝比奈隆のシューベルト「ザ・グレイト」の実演を2度だけ聴いたことがある。一度目は、阪神大震災直後の1995年1月22日に池袋の東京芸術劇場で開催された東京都交響楽団の特別演奏会、二度目が1999年7月18日にサントリーホールで開かれた大阪フィル第38回東京定期演奏会でのこと。いずれも重心の低い悠揚たるいつもの朝比奈節満載の名演奏であったが、反復を含め、あのゆっくりとしたテンポの音楽はシューベルトの音楽が求めているものでありながら、少なくとも第2楽章アンダンテ・コン・モート以下は残念ながら当時の僕にはやや間延びしたものに聴こえ、完全に集中して聴けたとは言えなかった。
・シューベルト:交響曲第9番ハ長調D944「ザ・グレイト」
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1996.2.16Live)
愛知県芸術劇場コンサートホールでの実況録音。
終演後の壮大かつ熱狂的な拍手喝采が、当時の朝比奈御大の凄まじい人気を伝える。
この浪漫溢れる1時間超の音のドラマを、あの頃の僕はきちんと受け止め切れていなかった。20余年の時を経て、久しぶりに聴いた朝比奈の「ザ・グレイト」は、素晴らしい音のドラマを内包し、特に、緊張感の途切れない、気迫のこもる第1楽章に痺れた。
型に嵌り、そこに閉じこもることは楽なことだ。
シューベルトには、ベートーヴェンとは異なる「革新」があったのだろう。彼はいつどんな時も型を破ろうと試みた。
そして、朝比奈のシューベルトには、それこそ彼が辻邦生の小説を評した「雲の彼方を思うようなよろこび」があるように僕は思う。
朝比奈隆109回目の生誕日に。
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>この浪漫溢れる1時間超の音のドラマを、あの頃の僕はきちんと受け止め切れていなかった。
「ああ、そうでしたか」としか言いようがないです。
うーん、朝比奈隆というより、「ザ・グレイト」という作品に対して、やっぱり今まではそうでしたか。何となくそんな気がしていました。
>雅之様
「ザ・グレイト」は初めて聴いたのが高校生の時で、しかも有名なフルトヴェングラー盤で、そのときはだいぶのめり込んで聴いていたのですが、いつの頃からか特に第2楽章以下聴くのにものすごく労力が要るようになりました。
集中力が持たないと言いますか・・・。
それは実演の場合でもあまり変わらないように感じます。
>何となくそんな気がしていました。
ばれてましたか・・・。逆に克服のヒントを教えていただきたいくらいです。(笑)