ヨッフム指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管のモーツァルト「ジュピター」ほか(1960.12録音)を聴いて思ふ

オイゲン・ヨッフムの、ドイツ浪漫派の趣漲る表現の重厚な美しさ。
巨匠が亡くなって早30年が経過するが、何より僕はこの人の指揮するモーツァルトにシンパシーを覚える。

例えば、交響曲第35番ニ長調「ハフナー」。

僕の愛するコンスタンツェは、いまでは(あるがたいことに)ぼくの本当の妻になりましたが、ぼくの立場ももうとっくに聞いて知っています。―でも、彼女のぼくに対する友情と愛はとても大きかったので、喜んで、―最高の喜びをもって未来の生涯をぼくの運命に捧げてくれました。ぼくはあなたの手に口づけをし、およそ息子たるものが父親に感じるあらゆる愛をこめて、実に寛大に寄せられたご同意と父親としての祝福に対して感謝いたします。
(1782年8月7日付ウィーンのモーツァルトからレオポルト宛)
高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P310

ようやく結婚の許しを得た安堵が音楽にも垣間見える。
喜びに溢れる調べは、ウィーンに進出して間もないモーツァルトの、音楽家としての勢いを示す最たるもの。ここでのヨッフムの解釈は、外面はあくまで小じんまりとして標準的であるが、心底共感する内的充実度は言葉にならないくらい。第2楽章アンダンテの柔和さ、優美さ。また、第3楽章メヌエットの雄渾なダンス。そして、終楽章プレストの悠々たる余裕の響き。

あるいは、交響曲第41番ハ長調「ジュピター」。
長女テレージアの夭折の直後に書かれた三大交響曲の最後の、光輝満ちる傑作。
ここでは生と死がひとつになる。音楽は極大の宇宙的規模を示し、しかも極小の小宇宙をも包括する人類最高の芸術のひとつと言っても過言でない。

ヨッフムの棒は悲しく、かつ流麗。

モーツァルト:
・交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」
・交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」
オイゲン・ヨッフム指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1960.12.15-19録音)

第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの雄大な主題に感無量。
相変わらず第2楽章アンダンテ・カンタービレが切ない。そして、第3楽章はモーツァルトの書いたメヌエットの神髄。ここにはもはや踊りはない。充足された精神の見える化とでも表現すれば良いのか、どうなのか。さらに、終楽章モルト・アレグロの、神宿る最高峰。ジュピター主題の自然、同時にフーガのめくるめく音響は、当時の作曲家が貧窮に直面していたとは思えぬ崇高さ。
モーツァルトにとって音楽は、俗世間とかけ離れた世界だったのだろう。

プラーターへ行こう
サーカスを見よう。
道化師は病気
熊はくたばった。
プラーターは蚊が多く、
ウンコがいっぱい、コーロコロ。
~同上書P389

この陽気さがモーツァルトの秘密。
ヨッフムはモーツァルトの毒に心から感染しているのだと思った。

 

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2 COMMENTS

雅之

同感です、と言いたいところですが、モーツァルトの「ジュピター」は、人によって理想の演奏像が異なる曲の典型であると、いつのころからか、ずっと感じています(もちろん、ピリオド奏法や繰り返し履行の有無を含め)。

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岡本 浩和

>雅之様

>モーツァルトの「ジュピター」は、人によって理想の演奏像が異なる曲の典型である

あー、確かにそうかもしれませんね。
多様な感性を受け容れることのできる懐の深い作品なのでしょう。
ちなみに、雅之さんのおすすめ「ジュピター」はやっぱりテンシュテットのライヴですか?
それともベーム?

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