開拓者

r_korsakov_gergiev.jpgマリインスキー歌劇場管弦楽団の強烈な響きが頭から抜けない。1日経ち、あらためてその肺腑を抉るような音響効果、衝撃波がリアルに思い出される。ワレリー・ゲルギエフはサンクト・ペテルブルクの「開拓者」である。若い頃、ムラヴィンスキーの薫陶を受け、生み出す音楽の表面も内容も師とはまったく相反する別物にもかかわらず、オーケストラを縦横無尽に統率し、聴衆を熱狂させる音楽を創出するという意味では同質の何かを感じる。
そういえば、2月の「愛知とし子presentsロシアン・ファンタジー」では晴香葉子さんとのコラボレートで「ロシア音楽×ロシア文学」というテーマで深みのある舞台が披露される予定だが、確かにドストエフスキーもムソルグスキーもサンクト・ペテルブルクでほぼ同時期に活躍した芸術家であることを考えると、このかつて栄華を極めたロマノフ王朝の帝都がありえないほど深遠で信じ難いエネルギーに満ちていたのだということをあらためて知らしめてくれそうで期待に胸が膨らむ。それに何より昨日のコンサートでサンクト・ペテルブルクのパワーを目の当たりにできたことが何よりの収穫。10年前、夏休みにサンクト・ペテルブルクを旅する計画を立て、チケットまで揃えたものの、事情により急遽頓挫したことを思い出した。結局この都を訪れず仕舞いだ。嗚呼行ってみたい・・・。

ところで、僕は、自分が「開拓者」なんだということをすっかり忘れていることに気がついた。「みんなの通る道に草は生えない」。
そう、すべては小学校卒業時の校長先生からいただいた言葉に始まり、今までの人生を振り返ると、人が通らないところに道順をつけ、人をその道に誘導したらば、また新たな道を開拓してゆく。そんな生き方を無意識にしてきたんだということを思い出した。ともかく発信することを忘れ、燻っている。人々が自然と一体であるということ、そして人と人とが本来はつながって「ひとつ」なんだということをひとりでも多くの方に体感的に知っていただきたい、そしてその素晴らしさを感じていただきたい、そう思って始めた初志を貫徹せねば。

リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」作品35
セルゲイ・レヴィーチン(ヴァイオリン)
ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団

アラビアン・ナイトを題材にしているこの音楽のエキゾチックな雰囲気が何ともたまらない。それにまたリムスキー=コルサコフの華美なオーケストレーションが輪をかけて陶酔感を浮き立たせる。昨日のコンサートでも感じたが、どのセクションも超一流の奏者揃いなのだろう、アンサンブルは完璧で、ソロをとってもしっかりと聴かせる技量が半端でない。しかも単なるテクニックに走った演奏というわけではなく、色艶やかさと肉感的な音色をあわせもつ響きなのだから、聴いていてほんとに気持ち良くなる。各々の奏者がピンで立てる力量をもちながら、チームワークで完璧なアンサンブルを披露する。まさに理想的なオーケストラだ。

本日、世田谷の某大学にて「模擬集団面接」。就職戦線が厳しいことはすでに十分知っているのだろう、学生諸君が真剣な眼差しで臨んでくるところが頼もしい。もちろん、全員が「模擬面接」は初めての体験だという。本番じゃないのだからどんどん失敗するべし。そして気づくべし。「チャレンジ」である。


5 COMMENTS

雅之

おはようございます。
昨日のブログ本文を読んで思ったんですが、岡本さん、そのお歳で「チャイ4」に開眼されたんですか?(笑) 
昨年5月10日のブログで、岡本さんは「チャイ4」について、こうお書きになっておられました。
・・・・・・チャイコフスキーのいわゆる「運命」といわれている交響曲。いかにもチャイコフスキーらしくわかりやすい主題とわかりやすい展開、構成をもつ楽曲。ちょうどパトロンとなったフォン・メック夫人との交際が始まった頃に書かれた音楽は、独特の「暗さ」と「重み」が同居した傑作となっている。ただし、僕自身は彼の後期三大交響曲の中で一番聴く機会が少ない。作曲家が「幸福を妨げる運命の力」と語るように、どうもその「負の力」が解決されないまま全曲を終えてしまうようで(一見は終楽章で苦悩の解放を表しているように聴こえるが)、鬱積したままの中途半端さを感じてしまうからだろうか。・・・・・・
http://opus-3.net/blog/archives/2008/05/post-326/
私は強い違和感を覚え、コメントではあえて触れませんでしたが、面白い感じ方もあるものだと思っていました。この曲に対する「自分軸」は今でも不変ですか?(笑)
>僕は、自分が「開拓者」なんだということ
そう、私はだから岡本さんのことを、いつも最上級の尊敬の眼差で見つめています。
ただし、恩師のお言葉「みんなの通る道に草は生えない」、大変申し訳ないのですが、これは明確に誤りです。例えば「オオバコ」という「雑草」のことを岡本さんは御存じですか?
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%83%90%E3%82%B3/
「人によって踏み固められた所に生えるので路上植物といわれ、高山帯にまで達しているが、人に踏まれないと自然に消滅してしまう」(Yahoo!百科事典より)
ゲルギエフが、「シェエラザード」を録音した時と現在とでは、マリインスキー歌劇場管弦楽団のメンバーは相当数変わっています。オーケストラも、会社も、プロ野球やプロ・サッカーチームも、日本代表も、時と共にメンバーはどんどん変わりますが、新しいメンバーは、先輩が開拓し築いた偉大な道を歩みつつ、自分でも新たな「栄光」を絶えず創りあげながら「伝統」を受け継いでいます。それは、場合によっては最初の「開拓者」よりプレッシャーが大きいんじゃないでしょうか。みんな世間に踏みつけられながらも懸命に頑張っているのです。
私も、他人が通った道であろうとなかろうと、「オオバコ」のように「雑草の強いのに負けないように頑張ろうと思い」ます。
どの道を通るにしても、「壮大な宇宙の太陽の光をどう受けて地中の栄養をどう吸収するかの意気の潜在力の差」が重要なのです(※クイズ さて、出典は何からでしょう?・・・笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
しかし、雅之さんの記憶力というのは恐ろしいですね(笑)。
僕がいつ何を書いたか全て覚えておられるのですか?(笑)
素晴らしいです!
ところで、チャイ4について。音楽についての考え方は以前書いたことと変わりはありません。ただし、一昨日の自分自身の「状態」があの曲をブログに書いたように聴かせたのではないかと思うのです。それと、ひとりでCDを聴くという状況と大観衆の熱狂の中で聴くことの違い、あるいはその前後にプログラムされた音楽の影響などなど。まぁ、何を言っても言い訳になってしまいますが・・・。雅之さんのもたれた違和感はごもっともだと思います。
多少プライベートの事実が影響しておりますので、この件についてはいずれお会いした時にでも。
ご指摘の「オオバコ」についてはもちろん知っております。
「みんなの通る道に草は生えない」の「草」というのは具体的な「草」のことを指すのではないと思いますので、軽く考えていただけると助かります。その言葉の奥に隠されたメッセージが大事ですから。まぁ、世の中に存在するもの全てには例外があるということはわかります。少なくとも人間世界で「絶対」は存在しないということですね。
>それは、場合によっては最初の「開拓者」よりプレッシャーが大きいんじゃないでしょうか。みんな世間に踏みつけられながらも懸命に頑張っているのです。
確かに!!おっしゃるとおりですね。こういうことはどちらが正しいとか、誰が良いとか悪いとかという問題じゃないですね。人間はひとりひとり「役割」を持たせられていて、それをきちんと全うしているかどうかが大事なんだと思います。という意味ではやはり「ひとつのものさし」で優劣をつけるような比較は愚の骨頂に思うのです。
本日も大変勉強になりました。毎々ありがとうございます。
※ところで、最後の文章の出典は何ですか?
(笑)とあるので悩んでしまっております・・・。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
あー、そうでした。どこかで読んだなと思いながら、まったく見当がつかずでした(苦笑)。

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アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » King Crimson “Lizard”

[…] タイトル・ソングは20分超に及ぶ組曲。前述の「ルーパート王子のめざめ」に始まり「ビッグ・トップ」で幕を下ろす。この音楽の規範はおそらくリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」。オリエンタルな雰囲気を醸し出す挑戦的な作品だ。 強いて言うなら「ピーコック物語のボレロ」の郷愁感は堪らない。マーク・チャリグのコルネットとロビン・ミラーによるオーボエが絡む主題の懐かしさよ。そして2つが融合し、極めて前衛的な調べに落ち着くところ。1970年の実験精神に溢れる作品。 […]

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