Robert Fripp “Exposure” (1979)ほかを聴いて思ふ

ロバート・フリップは自身の目指すものを、その本質をキング・クリムゾン解散から数年の時を経てようやく世間に曝した。彼の方法はどの時代においても早過ぎたのである。

いずれ近い将来”Discipline”として陽の目を見るアルバムは、バンドのリーダーにはなりたくないという矛盾を抱えたフリップが、グループとして「やっとロック版ガムランみたいな音になってきた」ことを契機にキング・クリムゾンという名をあらためて冠することを決意しリリースされたものだ。四半世紀を経た今こそ、このときのキング・クリムゾンの素晴らしさ、(ポリリズムの持つ)美しさが理解できるというもの。ロバート・フリップは実に不思議な、「先を見通す力」を持つ。

少なくとも当時のフリップの生き方は、明らかにG.I.グルジェフの神秘思想の影響下にあった。コリン・ウィルソンはグルジェフについてかく語る。

自分の生命エネルギーのありったけを病める他者に注ぎこみ、ほんの数分でまた自分を充電する─。それがグルジェフの魔術、あるいは超能力のひとつだったのだ。人間にはそうしたことを可能にする能力が秘められている、とグルジェフはいうのである。
サイト「グルジェフの『超人思想』の謎」

フリップの音の魔術然り。
自身の初のソロ・アルバム“Exposure”リリースにあたり、その前哨としてフリップは2枚のアルバム制作に携わった。ひとつは(意外な組み合わせであった)ダリル・ホールの”Sacred Songs”。当時、物議を醸し、お蔵入りにされ、数年後にようやくリリースされたといういわくつきの代物。全編がフリッパートロニクスに支配され(ちなみに、フリッパートロニクスが作品化された最初のアルバムがこれ。例えば”Babs and Babs”間奏のフリッパートロニクスの神秘!)、いかにもフリップのギター・サウンドが鳴り響くこの作品は確かに当時のホールのイメージとは程遠い、晦渋なアルバムだった。
ちなみに、1979年にロバート・フリップは次のように語っていた。

もし「セイクレッド・ソングス」が制作完了と同時に発表されていたら、ダリルはボウイやイーノと同じカテゴリーに考えられていただろうね。今頃やっと出ても、インパクトはまるでないね。
エリック・タム著/塚田千春訳「ロバート・フリップ―キング・クリムゾンからギター・クラフトまで」(宝島社)P139

結果的に、ダリルが異なった範疇にカテゴライズされようとも、40年近くを経た今こそインパクトある傑作。まったく革新的で、聴く者の心魂に響く。

・Daryl Hall:Sacred Songs (1980)

Personnel
Daryl Hall (vocals, keyboards, synthesizer)
Robert Fripp (guitar, Frippertronics, production)
Caleb Quaye (guitar)
Kenny Passarelli (bass guitar)
Roger Pope (drums)

“The Farther Away I Am”のブライアン・イーノのアンビエント音楽を髣髴とさせる癒しに感服。

The Farther away I am,
The Farther away I am,
Is it just a cloud passing under
I don’t want to lose you…

また、もうひとつは、ピーター・ガブリエルのセカンド。
これはガブリエルの作品として聴くとどうにも違和感のある、フリップの、キング・クリムゾン的な音に包まれたアルバム。

フリップは大袈裟な電気的処理を大幅にカットするようゲイブリエルに進言し、それに代わり、キング・クリムゾン作品―閉鎖的で、タイトで、ドライで、現実のライヴのような音に仕上げた。
~同上書P135

しかし長い目で見ると、フリップのプロデューサーとしての音に対する真面目さとアコースティックな正直さが、ゲイブリエルの持つ才能を完全に引き出す役目を果たしたかは定かではない。ゲイブリエルは素晴らしいハーモニストであり、豪華な夢を提供してくれる稀代のヴォーカリストで、比類なきティンブラリストで、ロック・ソングの職人である。ところがフリップは、基本的にレコード制作をアーティスティックな活動と認めず、むしろスタジオにおけるプロセス全体はライヴ演奏から一段階落ちる生産を余儀なくされた行為であり、邪悪なものと考えていると言っても過言ではないだろう。
~同上書P135

当時のことを振り返り、フリップは正直にかく語る。

3日経って、やっぱり自分には合っていないと思ったけど、その場を去りたくなかった。僕は友人を失いたくなかったんだ。
~同上書P134-135

フリップでさえそういう一面があることが今となっては何とも微笑ましい。
ただし、(後年、ここからの楽曲が舞台に欠けられることは皆無になったが)ガブリエルのセカンド・アルバムは、どんな経緯があれど名作に違いない。

・peter gabriel (1978)

Personnel
Peter Gabriel (vocals, organ, piano, synthesizer)
Robert Fripp (electric guitar, acoustic guitar, Frippertronics)
Tony Levin (bass guitar, Chapman stick, string bass, recorder arrangements, backing vocals)
Roy Bittan (keyboards)
Larry Fast (synthesizer and treatments)
Jerry Marotta (drum, backing vocals)

そして、これらに続く自身の初ソロ作品が”Exposure”。コラージュ的手法でロバート・フリップの世界を体現したこのアルバムは、確かに取っつき難さがずっとあったものの、やはり40年近くを経た今なら十分理解でき、楽しめる。

・Robert Fripp:Exposure (1979)

Personnel
Robert Fripp (guitars, Frippertronics, voice)
Daryl Hall (vocals)
Terre Roche (vocals)
Peter Hammill (vocals)
Peter Gabriel (vocals and piano, voice)
Brian Eno (synthesizer, voice)
Barry Andrews (organ)
Sid McGinnis (rhythm guitar, pedal steel guitar)
Tony Levin (bass)
Jerry Marotta (drums)
Narada Michael Walden (drums)
Phil Collins (drums)

ダリルがヴォーカルをとるアンニュイなバラード”North Star”の心を揺さぶるうねり。ガブリエル版よりも第三世界的響きを見せるローチェがヴォーカルをとる”Exposure”の強烈なパンチ力。ここではテープによりJ.G.ベネットの「目標に到達するには苦しみは避けられない」という言葉が繰り返される。

そして、ベネットの黙示を収めた崇高な”Water Music I”を経て、ガブリエルの”Here Comes the Flood”。この「静かな」バージョンは、イーノのシンセサイザーとフリップのフリッパートロニクスが見事に絡むオリジナル以上のエネルギーに満ちる赤裸々な傑作で、ガブリエルの強力なヴォーカルが一層の火花を散らし、哀しく響く。

オリジナルの三部作でやろうとしていたのは、表現方法のひとつであるポップ・ソングを研究しようと思ったのだ。ほんの3分から4分間の曲の中に、失われた感情を表す短い言葉を見つけて言いたいことを表現するのは、高度なコツを必要とする。それはある分野の形式であり、決して安っぽいとも、見かけ倒しとも思っていない。
~同上書P143-144

何と「ポップ・ソングの研究」だったとは。
この経験があらたなキング・クリムゾンの結成につながったとするなら、再結成クリムゾンとは、まさに70年代クリムゾンのそれこそアンチテーゼだったということになる。

ちなみに、グルジェフがベネットに語ったと言われる言葉が重い。

世界にはある種の人間がいる。しかしごく稀にしかいないこういった人間は、エネルギーの偉大な貯蔵庫あるいは蓄電池とでもいうようなものとつながっている。こういうものを引き出すことができる人間は、他の人間を救う手段になり得るのだ。
サイト「グルジェフの『超人思想』の謎」

ロバート・フリップもそのひとりなのだろうか。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む