バルシャイ指揮ケルン放送響のショスタコーヴィチ交響曲第4番(1996録音)ほかを聴いて思ふ

破壊による遠心力と集中による求心力。
死に物狂いでのたうち回る、魑魅魍魎の楽想が跋扈し、また時に夜の静寂を謳歌し、音楽は僕たちの心魂に爪を立てたかと思いきや同時に撫でるように癒す。
一筋縄では解けない、世界のあらゆるイディオムを多用しての作品は、いわゆる集合無意識の内奥で後世の音楽家たちにどれほどの影響を及ぼした(また及ぼす)ことだろう。
第1楽章アレグレット・ポーコ・モデラート―プレストの、激しく変化する楽想を見事にとらえ、とてつもなく複雑で長い音楽を十分にソフィスティケートされた形で世に問うたのはルドルフ・バルシャイの力量。
幾度か触れた実演よりも、あるいはこれまで耳にしたいくつもの音盤よりも遥かにわかりやすく音楽が運ばれる。ドミトリー・ショスタコーヴィチが認めた真意を僕はようやくつかんだように思った。

ジミー・ペイジが、レッド・ツェッペリン初の2枚組となるアルバムに”Physical Graffiti”と名付けたのは、アルバム制作に傾けられた全肉体的、創作的エネルギーを包括するという意味を持たすためだったらしい。確かに、過去のアウトテイクを流用しつつ、それまでにない多様性と爆発力、あるいは精神的内観を秘めるこの作品は、ともすると統一感の薄い、ごった煮のようなイメージを与えつつも、バランスのとれた余りある豊かさを表現したアルバムだとの評価を今となっては勝ち得ている。

デイヴ・ルイスは、「陰陽を踏まえ、囁きから雄叫びまで、このアルバムには何もかもが詰まっているのだ」というが、何と巧みな表現であることか。1枚目は”Custard Pie”に始まり、”Kashmir”に終わるが、どの瞬間にも溢れる驚異的なエネルギーの放出は今もって終わっておらず、その圧倒的破壊力は、ショスタコーヴィチの交響曲第4番ハ短調のそれに通ずるものがある。

時と場所を選ばず、世界はつながる。先駆者、天才のなせる業。

・ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調作品43
ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送交響楽団(1996.4.16, 24&10.24録音)

第2楽章モデラート・コン・モートの、束の間の安息には、例えばツェッペリンが一服の清涼飲料水的に挿入したアコースティック・ソロ・ナンバー”Bron-Y-Aur”の如く、昔日への回顧がある。管楽器の抒情的な歌に感応し、僕たちは自然の中にある安らぎを覚え、古き良き平和な時代を思うのである。

それはアレグレットのテンポで間奏曲的特徴をもっています。長さは十分です。その仕上がりに満足しています。
ローレル・E・ファーイ著 藤岡啓介/佐々木千恵訳「ショスタコーヴィチある生涯」(アルファベータ)P130

この交響曲では、彼の豊かな表現力が、陳腐から崇高に、平凡から悲劇へと広がる二極の対立のうちに、堂々と姿を現している。
~同上書P131

作曲者自身の言葉を待つまでもなく、音楽は生の苦悩を煽り、極めて美しい。

異郷への空想を愛でる”In The Light”に始まり、強力にハードな”Sick Again”で終わる“Physical Graffiti”の2枚目は、全編息つく暇を与えない、過呼吸(?笑)ディスク。例えば、”The Wanton Song”の、ペイジのシンプルなギター・リフにユニゾンで絡みつくジョンジーの完璧なベース・プレイに身も心も焦がれ、そこにプラントの甲高くハスキーな意味深な歌が色気を添える。

Silent woman in the night, you came
Took my seed from my shaking frame
Same old fire, another flame
And the wheel rolls on

何とパワー炸裂するエロス音楽。

・Led Zeppelin:Physical Graffiti (Deluxe Edition)

Personnel
John Bonham (drums, percussion)
John Paul Jones (bass guitar, organ, acoustic and electric piano, mellotron, guitar, mandolin, VCS3 synthesiser, Hohner clavinet, Hammond organ, string arrangement)
Jimmy Page (electric, acoustic, lap steel and slide guitar, sitar, mandolin, production)
Robert Plant (lead vocals, harmonica, acoustic guitar)

ところで、2015年Deluxe Editionには、例によって”Companion Audio”がボーナス・ディスクとして付いている。いくつかの楽曲の荒々しい初期バージョンは、ツェッペリンの真実を伝える。”Houses Of The Holy”の壮絶な勢い、何より”Everybody Makes It Through”(In The Light)の、ビートルズの”Because”にも通じるシンプルでありながら奥行きのある音楽に一層の感銘を受ける。なお、”Driving Through Kashmir”はもとよりオリエンタルな響きで熱い。

終楽章ラルゴ―アレグロはまるで昇天と変容の音楽。
ここでのバルシャイの解釈は、あくまで自然体でありながら、当時の作曲家の「二極の対立」を完璧に統べる透明感を持つ。特に、コーダでの弱音によるチェレスタの天国的な音色に釘付けになるほど。

ショスタコーヴィチの真実、そしてレッド・ツェッペリンの本懐。
結果は大事だ。しかしながら、プロセスに意識を置くことはもっと大切だ。

 

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