リチャード・グードのバッハ パルティータ集(1997.3&98.6録音)を聴いて思ふ

おそらくこの人は実演に触れることなしにその表現を評価できる人ではないように思う。
しかしながら、少なくとも音盤で耳にする彼の演奏は飛び切りセンス満点で、どの瞬間も音楽が生き生きと、たった今生み出されたかのように感じさせるもの。
主観的でありながら冷静で、また、客観的でありながら実に熱のこもった音楽に純粋に耳を傾けるとき、僕たちは、それがまるでバッハ自身によって弾かれたものではないかという(もちろんバッハ自身の演奏を聴いたことはないのだけれど)錯覚を起こすほど、どこか自由で溌剌とした即興的な趣を醸す。
だからこそ録音ではなく、時間と空間を共有し、実際のステージに触れねばわからないと僕は思うのである。

第4番ニ長調最初の序曲の高雅な響き。続く第2曲アルマンドの哀しい翳。長大な舞曲が涙に濡れる。そして、喜びを爆発させる第3曲クーラントを経て、第4曲アリアの、どこかで聴いたような、かわいらしくも美しい旋律に心がほっとする。さらに、第5曲サラバンドの左手低音部の、地を這う虚ろな音色に対して、右手高音部の、天上から降り注ぐ光のような輝き。短い第6曲メヌエットは何とも可憐な行進曲。これぞ童心に還るグードのひらめき!また、堂々と締められる終曲ジーグの圧倒的技術!!

リチャード・グードのバッハが素晴らしい。

J.S.バッハ:
・パルティータ第4番ニ長調BWV828(1997.3.26録音)
・パルティータ第2番ハ短調BWV826(1998.6.24-25録音)
・パルティータ第5番ト長調BWV829(1998.6.24-25録音)
リチャード・グード(ピアノ)

そもそもバッハのパルティータとは、彼自身がそれまで吸収したあらゆる音楽形式を試そうと創意工夫を施した「音楽の挑戦」であり、人生のある意味頂点を迎えていた作曲家の最大の自信作ではなかったろうか。

バッハは、疑いなく彼の人生のひとつのピークを迎えていた。
40歳を目前に、ドイツ音楽界の要職のひとつについた音楽家バッハは、その激務に耐えられるだけの体力と気力、知力、そしてもちろん創作力を十二分に備えていたのだ。
加藤浩子著「バッハへの旅―その生涯と由縁の街を巡る」(東京書籍)P257

第2番ハ短調第1曲シンフォニアの冒頭グラーヴェ・アダージョはいかにも荘重で、清らかな音楽だ。この力を溜めて紡がれる最初の部分に対し、続く、脱力で優しい旋律のアンダンテに思わず笑みがこぼれるも、厳格なフーガ部で僕たちは襟を正される。この自然な流れこそ(少なくとも録音における)リチャード・グードの巧みさ。
第2曲アルマンドは実にきれいな音を示し、第3曲クーラントの軽快な歌に感動。また、第4曲サラバンドのゆるやかな旋律に癒されるも、一種の間奏曲風の第5曲ロンドーで弾け、やはり威風堂々たる終曲カプリッチョで最後を締めるのである。興味深いのは、完璧な筆致の中に感じられる哀感。人生の絶頂にありながらバッハは内心何を思ったのか。

ここには、肩を落としたバッハがいる。当局に対する頑とした意固地からは想像もつかないような、膝を折ったバッハが。
バッハは綴る。「きれいなソプラノを歌う」「現在の妻」や、最初の妻との間にもうけ、今は大学の法学部にいる長男、高等中学に通うその下の二人の息子たち、そして二番目の結婚から生まれた、まだ幼い子供たちのことを。音楽の理想を追うと同時に、養わなければならない大家族の長として、バッハはさまざまな顔を使い分けなければならなかった。
~同上書P260

おそらくそこには創造活動と現実生活の狭間にあったバッハの苦悩が刻印されるのだろう。

第5番ト長調、短い第1曲プレアンブルムの、軽快な音調の中に垣間見える(やはり)悲しみの表情がグードによって見事にとらえられる。第2曲アルマンドがしっとりと泣き、第3曲クーラントが軽快に笑う。あるいは、第4曲サラバンドの、この世のものとは思えぬ天上の歌と第5曲テンポ・ディ・メヌエットの、これまた舞曲を超えた、当時としては驚くような前衛(ここまたグードの聴かせるテクニックに拠るところ大だろう)!第6曲パスピエが弾け、終曲ジーグでの端正なフーガに舌を巻く。

実に知性と感性の織り成す全脳音楽。

 

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