アファナシエフのショパン「ノクターン集」(1999.6&7録音)を聴いて思ふ

沈みゆく崇高なショパンの詩情。果たして彼の音楽が、これほどの哲学性を求めているのかどうなのかはわからない。しかし、最初の変ロ短調作品9-1から音楽は形而下で飛翔し、聴く者の魂にまで響く安らぎを獲得する。

かつて、ヴァレリー・アファナシエフの実演を聴いたとき、あまりの恣意性というか、知性だけが前面に押し出され、音楽の内側にある感性、悟性の側面を置き去りにしたような解釈に失望したことを思い出す。彼は、ただひたすら音楽だけを追究すれば良かったのに、演劇的側面を無用に採り入れたことが仇になった。

アファナシエフが、世紀末に録音したショパンのノクターン集が素晴らしい。
一切の苦しみや楽観や、そういう人間的な感情を一切排除した透明な世界が繰り広げられる。選ばれた9曲すべてが絶品なのである。

ショパン:ノクターン集
・夜想曲第1番変ロ長調作品9-1
・夜想曲第5番嬰ヘ長調作品15-2
・夜想曲第7番嬰ハ短調作品27-1
・夜想曲第8番変ニ長調作品27-2
・夜想曲第9番ロ短調作品32-1
・夜想曲第11番ト短調作品37-1
・夜想曲第14番嬰ヘ短調作品48-2
・夜想曲第20番嬰ハ短調遺作「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」
・夜想曲第21番ハ短調遺作
ヴァレリー・アファナシエフ(ピアノ)(1999.6.30-7.2録音)

時折無性に聴きたくなる「ノクターン集」。
昔、「早わかりクラシック音楽」で皆様に聴いていただいたとき、ショパンのあまりに深遠な世界に誰もが絶句し、その小さな音の世界に意図せず浸ったことを思い出す。8分近くを要する変イ長調作品27-2の、異形の、それでいて説得力のある巨大な音宇宙。かつて自分が存在した古の記憶を呼び覚ます唯一無二の演奏はそれこそ奇蹟。

私の記憶とはこういうものだ。老婦人が揺り椅子に腰をかけている。黄色い指で白髪を編みながら、太陽のもと、月光のもとであらゆることに就いて物欲しげに話をしている。彼女は、窓辺に寄りかかり、片手を私の肘掛椅子において、私のほうをじっと見る。
ヴァレリー・アファナシエフ(訳:平野篤司)
COCO-70868ライナーノーツ

あるいは、嬰ハ短調遺作の、重い足取りの戦慄。これほどに美しく、また哀しく奏でられた主題が他にあろうか。これは、何年か前に実演で聴いたメナヘム・プレスラーのアンコールでの同曲の優れた演奏に間違いなく匹敵する。
そして、11分超のト短調作品37-1の、今にも止まるかのような牛歩が何より音楽の輪郭を一層明確にし、深い呼吸とともに聴く者を別世界に連れ去ってくれる。

音楽は沈潜してこそ美しい。
また、飛翔するからこそ感動的なのである。

 

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