エッシェンバッハ&フランツのモーツァルト4手ソナタK.497(1973.4録音)ほかを聴いて思ふ

あみんが解散から20余年を経て再結成し、ファンの前で見事な歌唱を見せてくれたあのとき、僕はコンビの永遠というものを思った。長い時間2人を隔てた時間も空間も、その「信頼」を前にしてはまったく障害にならなかった。2人が初めの一歩から共にあり、苦楽を共にしたその経験に裏打ちされた「信頼」こそが、何にせよアンサンブルの鍵なのだと思う。
昔、サイモン&ガーファンクルを初めて聴いたときも僕は同じようなことを感じた。
2人が出逢う不思議な運命の糸というものが本当にあるのだと思った。
糸はすなわち意図。誰の意図なのかは知らないけれど。

今あらためて聴いて思う。サイモン&ガーファンクルのデビュー・アルバムにある自然体の、すでに完成された「歌」(しかし、このアルバムは発表当時ほとんど話題にも上らず、売れることはなかったという)。

・Simon & Garfunkel:Wednesday Morning, 3 A.M. (1964)

Personnel
Paul Simon (acoustic guitar, banjo, vocals)
Art Garfunkel (vocals)
Barry Kornfeld (acoustic guitar)
Bill Lee (acoustic bass)

素晴らしいのは、ディランのカヴァーである”The Times They Are A- Changin’”。ポールがリードをとり、アートがハモるこの歌にあるエネルギーこそ「絆」の証。そして、後にプロデューサーのトム・ウィルソンによって見出された”The Sounds Of Silence”のシンプルなオリジナル・バージョンの文字通り「静けさ」!さらには、タイトル曲のいかにもポール・サイモンらしい荘厳な歌。天才ははじめから天才なのだと知った。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトを思った。
少年アマデウスは神童と言われた。20代半ばに故郷ザルツブルクを出、ウィーンに向ったアマデウスもかの地で大いに人気を博した。ちなみに、最初の数年、父というストレスを抱えていた当時の彼は作曲家としての全盛を誇り、作品はいずれも超のつく名作揃いだった。特に、今さらながら僕にとっての発見はピアノ・デュオ作品。

モーツァルトは、子どもの時から姉ナンネルとの共同作業を想定し、連弾曲を書いた。そして、充実のウィーン時代にも、教え子たちとの連弾のためにピアノ・デュオのための作品をいくつも書いた。それはいずれもが傑作で、特にK497などは一般的にはあまり顧みられないように思うのだが、それこそ陰陽一体を示す明らかな音楽で、聴いていて弾むような興奮を覚えるくらい。

モーツァルト:ピアノ・デュオのための作品集
・4手のためのピアノ・ソナタヘ長調K.497(1973.4録音)
・自動オルガンのためのアダージョとアレグロヘ短調K.594(1974.4録音)
・4手のためのピアノ・ソナタハ長調K.521(1972.8録音)
・自動オルガンのための幻想曲ヘ短調K.608(1973.4録音)
クリストフ・エッシェンバッハ(ピアノ)
ユストゥス・フランツ(ピアノ)

クリストフ・エッシェンバッハとユストゥス・フランツによる録音が素晴らしい。
例えば、K.497第1楽章の、半音階で進む序奏アダージョの深淵から、光の差し込む主部アレグロ・ディ・モルトへの移り変わりのはっとする美しさ。そしてドラマティックな展開部の巨大さは、1786年頃のモーツァルトの精神状態の安定と自信のほどを映すよう。続く、(13分近くを要する)第2楽章アンダンテも落ち着いた音調で、音楽は終始柔らかく、この中にずっと身を浸していたいほど。高音部は天上から語り変える天使の声の如し。そして、どこか虚ろに響く終楽章ロンド、アレグロの軽やかな足取りは、エッシェンバッハとフランツのアンサンブルの真骨頂。

ところで、4年前に亡くなられた作曲家の三善晃さんが、ピアノ・デュオについてインタビューに応え、こんなことを言っておられた。

連弾と2台ではアプローチが異なりますが、共通する点もあります。それは、同じピアノを使っても、10本の指だけでは表現できないことを求めるのです。それも単に20本指があればいいということではなくて、片方の奏者が自分の演奏を耳にしながら、もう片方の奏者の音を聴いて、ひとつの音楽として演奏を作り上げていく。そのようなことを、基本的には目指します。ある意味で、ピアノ・デュオは、アンサンブルの最もプリミティブな形体であると認識しています。
(2004年7月17日)
~「音楽現代」2004年9月号(芸術現代社)P96

当たり前のことなのだが、互いが互いを聴いて、ひとつのものを作り上げる極意(?)にこそ「音楽をする」ことの醍醐味がありそうだ。そして、三善さんは続けてかく語る。

さて、連弾ですが、これには個人的な思い入れがあるのですよ。・・・妹と、盛んに連弾をしていました。特にシューベルトの「軍隊行進曲」を、もう盛んに弾いていましたね。そのとき、一人でピアノを弾くのとは、まったく異なった感触を得たのです。自分が弾いている音のほかに、同じピアノ、自分のすぐ側から別の音が聞こえてきて、自分の弾いている音と一緒になってひとつの音楽になっているのですね。この印象は、今でも忘れられません。そして、一緒に弾いている妹と何だか一体になったような感覚になったりして。
~同上誌P96

一体となってひとつの音楽を生み出す奇蹟。いや、逆か。ひとつの音楽を互いに耳で感知しながら一体となる神秘。関係の根本には「聴くこと」があるのだとここでも知らされる。

ちなみに、サイモン&ガーファンクルの転機となった”The Sounds Of Silence”は、それを聴いたプロデューサーのトム・ウィルソンが、ちょうどボブ・ディランの”Like A Rolling Stone”を録音中で、かのバックバンドをそのまま流用しオーヴァーダブ、フォーク・ロック調にアレンジした代物だということだが、静謐なオリジナル曲が何ともアグレッシブに生まれ変わっていて、本当に素晴らしい。

Simon & Garfunkel:The Sounds Of Silence (1966)

Personnel
Paul Simon (lead vocals, guitar)
Art Garfunkel (lead vocals)
Fred Carter, Jr. (guitar)
Larry Knechtel (keyboards)
Glen Campbell (guitar)
Joe South (guitar)
Joe Osborn (bass guitar)
Hal Blaine (drums)

アコースティックギター一本を伴奏にした、シンプルで可憐な“April Come She Will”の、詩と音楽のあまりの美しさに感涙。

April come she will
When streams are ripe and swelled with rain;
May, she will stay,
Resting in my arms again

June, she’ll change her tune,
In restless walks she’ll prowl the night;
July, she will fly
And give no warning to her flight.

August, die she must,
The autumn winds blow chilly and cold;
September I’ll remember.
A love once new has now grown old.

ちょうど10年前、ETVで吉田秀和さんの特集があり、そのとき吉田さんが中原中也の詩を読んだときに感じたことを語っておられたことを思い出した。
すなわち、「詩」と「死」は少なくとも同じ音で、「音楽」、「詩」、「愛」、そして「死」は同じ根から生えてきたものだと。
なるほど、言葉がない。

 

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