スゼー&ボールドウィンのフォーレ「夢のあとに」ほか(1970-74録音)を聴いて思ふ

ガブリエル・フォーレの音楽は、1995年の、安藤元雄、高階秀彌、平島正郎の三氏による「フォーレの時代の芸術と文学」と題する鼎談で、安藤さんが語るように、サロン風で可憐な印象を与えるものが多い。決して大仰なものでなく、聴衆により接近した親しみやすい音楽の宝庫。

初期の歌曲、つまり「蝶と花」以下ですけど、ロマンスがもっぱら演奏されたり享受されたりした場所っていうのは要するにサロンでしょ、だからまあ変ないい方だけど、サロン音楽の書き手としてスタートしたということはいえるんじゃないですか。「無言歌」などもきれいなかわいい曲ですよね。
日本フォーレ協会編「フォーレ頌―不滅の香り」(音楽之友社)P17-18

それでいて、不思議な近寄り難さを醸すのは、遠山一行さんが「フォーレの『位置』について」と題する小論で書くように、ショパン同様、その音楽の内側に存する深い闇に由縁が確かにあるのだろう。

「フォーレの位置」は明らかにさだめがたいが、それは、幾分ともショパンの場合に似ているかもしれない。ジャンケレヴィッチは「夜の音楽」の第二部をショパンにあてているが、そこには似たような想いがあるにちがいない。夜の見定めがたい闇のなかで、すべてのものがその「位置」を失う。音楽も同じことだが、そうなることによって、かえって本来の意味を明らかにするような音楽もある。ショパンとフォーレが、その例として呼び出されているのはまちがいないと思う。
~同上書P11

久しぶりにエリー・アメリンクとジェラール・スゼーが歌ったフォーレを聴いた。
フランス語のアンニュイな雰囲気とその包容力が何よりの魅力。
吉田秀和さんの、「音楽」、「詩」、「愛」、そして「死」は同じ根から生えてきたものだと思うという言葉を再び思う。

フォーレ:
・蝶と花作品1-1(ヴィクトル・ユゴー詩)
・五月作品1-2(ヴィクトル・ユゴー詩)
・愛の夢作品5-2(ヴィクトル・ユゴー詩)
・ある僧院の廃墟で作品2-1(ヴィクトル・ユゴー詩)
・水夫たち作品2-2(テオフィル・ゴーティエ詩)
・リディア作品4-2(ルコント・ド・リール詩)
・讃歌作品7-2(シャルル・ボードレール詩)
・ひとりぼっち!作品3-1(テオフィル・ゴーティエ詩)
・いなくなった人作品5-3(ヴィクトル・ユゴー詩)
・あけぼの(遺作)(ヴィクトル・ユゴー詩)
・身代金作品8-2(シャルル・ボードレール詩)
・秋の歌作品5-2(シャルル・ボードレール詩)
・朝の曲作品6-1(ルイ・ポメイ詩)
・悲しみ作品6-2(テオフィル・ゴーティエ詩)
・漁師の歌(哀歌)作品4-1(テオフィル・ゴーティエ詩)
・舟歌作品7-3(マルク・モニエ詩)
・この地上ではどんな魂も作品10-1(ヴィクトル・ユゴー詩)
・タランテラ踊り作品10-2(マルク・モニエ詩)
・この世作品8-3(サリー・プリュドム詩)
・河のほとりで作品8-1(サリー・プリュドム詩)
・トスカナのセレナーデ作品3-2(ロマン・ビュシーヌ詩)
・夢のあとに作品7-1(ロマン・ビュシーヌ詩)
・シルヴィ作品6-3(ポール・ド・シューダンス詩)
・旅人作品18-2(アルマン・シルヴェストル詩)
・秋作品18-3(アルマン・シルヴェストル詩)
エリー・アメリンク(ソプラノ)
ジェラール・スゼー(バリトン)
ダルトン・ボールドウィン(ピアノ)(1970-74録音)

当然歌手が前面にあるのだが、ここでのボールドウィンのピアノ伴奏の煌く美しさに感涙。
それにしても有名な、ロマン・ビュシーヌの詩による「夢のあとに」作品7-1での、スゼーの声の何と優しい響きよ。

貴女の瞳はこんなにも優しく
その声は澄み
響き渡る
貴女は光っていた 
朝日に輝く空のように

あるいは、サリー・プリュドムの詩による「河のほとりで」作品8-1にある暗鬱な響きを哀感込め歌うアメリンクの可憐な声に感動。
そして、アルマン・シルヴェストルの詩による「秋」作品18-3の意味深く崇高なピアノの音が僕の胸を打つ(フォーレの真骨頂)。

 

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