アバド指揮ウィーン・フィルのリゲティ「アトモスフェール」(1988.10Live)ほかを聴いて思ふ

ピンク・フロイドの基本形は「夜の音楽」である。
特に、ロジャー・ウォーターズがイニシアチブをとるようになってからのバンドにはその傾向が強い。例えば、壮大な組曲を軸に、メンバー個々の作品を収録した「原子心母」については、ウォーターズはもちろんのことデイヴィッド・ギルモアも批判的な評価を下しているという事実が興味深い。
おそらく、ロン・ギーシンの仕掛けた音楽がいわば「昼」に支配されていて、根本的な方法が異なるからなのだろう(と僕は思う)。

ギーシンは言う。

すでにコンセプトが出来上がっているところに何かをはめ込み、さらにつけ加えるという作業だ。僕はいつもフロイドにはメロディの感覚が欠けていると思っていた。彼らの曲は長くて、風変わりなとげとげしい旋律が所々にあるものの全体としてはふらふらと漂流しているような曲だった。だからこそ、僕らはあんなにうまくやっていけたのだろう。僕がメロディと旋律を彼らに提供していたんだ。
ニコラス・シャッフナー著/今井幹晴訳「ピンク・フロイド―神秘」(宝島社)P150-151

果たしてそれが真実なのかはわからない。ピンク・フロイドにメロディの感覚は確かにあるように僕には感じられるから。20年後、ギルモアは言う。

はっきり言って、がらくたの集まりだった。あの頃僕らはどん底の状態だった。いったい自分たちが何をしているのか、何をしたいのか誰にもわからなかった。
~同上書P153

また、ウォーターズはかく語る。

ごみ箱に捨てられて二度と聴いてもらえなくても構わない。
~同上書P153

この際、手厳しい当人たちの評は横に置こう。50年近くの時を経てもロック史に燦然と輝く名作であることに変わりはないのだから。

・Pink Floyd:Atom Heart Mother (1970)

Personnel
Roger Waters (bass guitar, acoustic guitar and vocals, tape effects, tape collages)
David Gilmour (guitars, vocals, bass and drums)
Rick Wright (keyboards, vocals)
Nick Mason (drums, percussion, engineering)

タイトル曲はもちろんのこと(コーラスに起用されたジョン・オールディス合唱団が素晴らしい。ちょうど同時期に、彼らはオットー・クレンペラー指揮の「フィガロ」での合唱にも起用されている)、ウォーターズの”If”も、ライトの”Summer ‘68”も、そしてギルモアの”Fat Old Sun”も、すべてがのちのフロイドの特性を先取りする個性全開の楽曲で、とても爽快。「原子心母」は個性的であり、また革新的であり、素晴らしいアルバムだと僕は思う。
なるほど、このアルバムに対するアンチテーゼとして次作”Meddle”(邦題:おせっかい)が生み出されたのではなかろうか。ラスト・ナンバー”Echoes”こそ、彼らの最初の「夜の音楽」になった。

Overhead the albatross hangs motionless upon the air
And deep beneath the rolling waves in labyrinths of coral caves
The echo of a distant tide
Comes willowing across the sand
And everything is green and submarine

ちなみに、彼らがスタンリー・キューブリック監督作「2001年宇宙の旅」第3部のシークェンスに完全一致させ、長さも同じに試みたものが”Echoes”であったことはだいぶ前にも書いた。深遠なこのロック・ドラマは、前衛の雰囲気匂い立つ名曲で、同じく「2001年~」に使用されたジェルジー・リゲティの各曲に近い印象を僕は受ける。
リゲティを聴いた。

リゲティ:クリア・オア・クラウディ~DGコンプリート・レコーディングス
・大オーケストラのための「アトモスフェール」 (1961)
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1988.10Live)
・オルガンのための「ヴォルーミナ」 (1961-62、1966改訂)
ゲルト・ザッヒャー(オルガン)(1968.4録音)
・16声のための「ルクス・エテルナ(永遠の光)」 (1966)
ヘルムート・フランツ指揮ハンブルク北ドイツ放送合唱団(1968.4録音)
・オルガンのための習作第1番「ハーモニーズ」 (1967)
ゲルト・ザッヒャー(オルガン)(1968.4録音)
・管弦楽のための「ロンターノ」 (1967)
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1988.10Live)
・弦楽のための「ラミフィケイションズ」 (1968-69)
ピエール・ブーレーズ指揮アンサンブル・アンテルコンタンポラン(1982.3録音)
・管弦楽のための「メロディエン」 (1971)
デイヴィッド・アサートン指揮ロンドン・シンフォニエッタ(1975.10録音)

ユダヤ人のジェルジー・リゲティは、大戦中、家族バラバラで強制収容所に入れられたという。その意味で、彼の音楽も根底に希望は醸しつつも「夜」に支配された音楽だった(と僕は思う)。
「アトモスフェール」の恐怖、「ヴォルーミナ」の虚ろな静寂、そして「ルクス・エテルナ」の祈り、どれもが神秘の海の中にある代物だ。あるいは、「ロンターノ」の透明感、「ラミフィケイションズ」の暴力的革新、「メロディエン」の繊細な美しさ。

私は音楽を書く。それが人々に何を語りかけるかは、気にしない。ただ、消費され、最後は無に帰すたぐいの作品ではないとの自負はある。
ジェルジー・リゲティ

おそらく、彼は音楽によって革命を起こそうと試みたのではなかろうか。

必然性(貧窮)と暴力。暴力は必然性(貧窮)のために行使されるゆえに正当化され賛美される。他方、必然性(貧窮)は、もはや解放へのこのうえない努力において反抗されたり、宗教的従順さをもって受け入れられたりはせず、反対に、ルソーの言葉にあるように、必ず「人びとを自由ならしめるために強制する」、偉大なすべてを強制する力として忠実に尊敬される。われわれは、この二つのものが、そして、この二つのものの相互作用が、二十世紀の成功した革命のしるしとなった事情を知っている。
ハンナ・アレント著/志水速雄訳「革命について」(ちくま学芸文庫)P177

火事場の馬鹿力という言葉があるように、人間は切羽詰まれば信じられないような能力を発揮するもの。負の力が外に向いたとき、例えば戦いが勃発し、内に向いたときに芸術が顕在化するようにも思えるが、どうか。

 

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