マタチッチ指揮ザグレブ・フィルのワーグナー(1977.11.11Live)を聴いて思ふ

きのうの日曜日、北アムステルダムが激しい空襲を受けました。被害は相当にひどいようです。地区全体が廃墟になり、犠牲者や生き埋めになった人たちを掘りだすのには、何日もかかるということです。いままでにわかっているかぎりでも、二百人のひとが死に、数えきれないほどの負傷者が出て、病院はどこも超満員。はぐれた親を探しあるいているうちに、まだくすぶっている廃墟で道に迷い、そのまま行方不明になってしまう子供もいるそうです。
1943年7月19日、月曜日
~アンネ・フランク/深町眞理子訳「アンネの日記」(増補新訂版)(文春文庫)P196

今日、なぜだか「ジークフリートの葬送行進曲」がずっと頭の中を巡っていた。
「アンネの日記」なんかを久しぶりにじっくりと読み返している反動が現れているのかもしれない。事実とはまさに小説より奇なり。

ここでの生活のことを考えるたびに、潜伏生活をしていないほかのユダヤ人たちにくらべたら、天国にいるようなものだと思います。それでも、将来、平和がもどってから、現在のこの生活をふりかえったら、以前はあれほどきちんとした暮らしをしていたわたしたちが、よくもあそこまで落ちたものだとあきれることでしょう。いってみれば、低水準になったということで、これはわたしたちの暮らしかた、生活習慣のすべてが落ちたということをさします。
1943年5月2日、日曜日
~同上書P175

有事のときはいつの時代も同じような状態になるのだろうが、当時のナチスのユダヤ人狩りというのは、相当に悲惨な状況を作り出していたことが行間から伝わる。ちなみに、同じ頃、バイロイトの街では何が起こっていたのだろう?

音楽祭訪問客や音楽家たちが、住民とは反対に、「ほぼ平時と変わらぬ」食糧供給を受けていることも、人々を怒らせた。「たとえば、前線で戦う兵士がレストランで食事と飲み物を注文して断られたのに、隣のテーブルでは、劇場関係者とその家族が彼が注文したのと同じ物を食べていた」ということもあった。ある空襲被災者は、「我々が全てを失い、一滴のワインも飲めずにいる間、あの糞ったれどもは、ここで腹いっぱいに食べ、酔っぱらっている」と言った。ワインを手に入れられなかったある兵士は、「やっと前線から帰ってきて、故郷で芸術家たちだけがワインを飲む様子を眺めていなければならないとは、何と素晴らしいことだろう!」と毒づいた。
ブリギッテ・ハーマン著/鶴見真理訳/吉田真監訳「ヒトラーとバイロイト音楽祭―ヴィニフレート・ワーグナーの生涯(下・戦中戦後編)」P137

リヒャルト・ワーグナー亡き後のバイロイトが、時を追うごとに俗化していったというのは有名な(?)話だが、戦時下でこういうことが平気で行われていたことを知るにつけ愕然とする。人間というものの浅はかさよ。とはいえ、もとはと言えばワーグナーも(高尚な思考をどんなに説いても)かなりの俗物だったのだからバイロイトのそういう事実は、裏返って当然のことなのかもしれない。

それにしても、ワーグナーへの尊敬の念が投影されるマタチッチの強烈な「葬送行進曲」ほかが素晴らしい。

ワーグナー:
・歌劇「リエンツィ」序曲
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」
—第1幕前奏曲
—イゾルデの愛の死
・楽劇「神々の黄昏」
—ジークフリートのラインへの旅
—ジークフリートの葬送行進曲
—ブリュンヒルデの自己犠牲
ロバータ・ニー(ソプラノ)
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団(1977.11.11Live)

ちょうど40年前の、ザグレブでの実況録音。
「トリスタンとイゾルデ」からの2曲は実に色香に満ち、音のエネルギーが甚大で、聴いていて幻想の世界に持っていかれそうになるほど。ロバータ・ニーという歌手については経歴など詳細はわからないが、彼女の、時に繊細、時に勇猛果敢な声を振り絞る凄まじさに感動する。また、「ブリュンヒルデの自己犠牲」での、悲痛な叫びを伴う感情のこもった表現は、ことによるとキルステン・フラグスタートを凌ぐかも。

18年前の今日、わたしは初めてリヒャルトに会った。あれはパリでのこと、彼はわたしたちを前に「神々の黄昏」を朗読した。「あれを今、ようやく完成させようとしている。きみなしでは、けして夜明けを迎えられなかっただろうhätte es nie gedämmert」と彼は言う。
1871年10月10日火曜日
~三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記2」(東海大学出版会)P591

「黄昏」は、少なくともワーグナーの中ではコジマとの愛の結晶だったということになる。最後に鳴り響く「愛の救済」の動機は、それこそコジマに捧げられたもの。ここでのマタチッチの力感溢れる、また憧憬に満ちる壮大な後奏は涙なくして聴けない。

わたしたちは幸せな夫婦だ。たとえ外で嵐が荒れ狂っても、わたしたちの嵐はもう通り過ぎたと思えるのだから。だが、君に愛されているからといって、この世は最高だというわけでもない。きみの愛がなければ、もはやわたしにとって、そもそも世界は存在しないも同然なのだからね。
1871年10月2日月曜日
~同上書P584-585

 

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