グレン・グールドのグリーグ ピアノ・ソナタ(1971.3録音)ほかを聴いて思ふ

季節外れの台風に翻弄される。
自然は偉大だ。しかし、自然は無慈悲だ。
夜が更け、時間の経過とともに強くなる風雨の音を背景に、グレン・グールドを聴いた。
楽譜に真摯に向かい、ただひたすら音楽を創造するピアニストの脳みその中を僕は垣間見た。

存命当時は、一般的には知られていなかった、他人との関係がうまく構築できず、社会に容易に溶け込めないという問題を抱えつつ、一方で人並外れた高度な集中力を持つなどのアスペルガー症候群であったといわれる彼は、例えば、夏目漱石の「草枕」や安部公房の「砂の女」を愛読したという。

いや誤解してはいけない・・・おれと、おまえとの間には、契約めいたものなど、最初から何もなかった。契約がない以上、契約破棄ということもありえない。それに、おれの方にだって、ぜんぜん損失がなかったわけじゃないのだ。たとえば、あの、堆肥をしぼったような、一週一度の焼酎の臭い・・・雨樋のような筋肉がういてみえるおまえの内股の肉のはずみ・・・焦げたゴムのような、黒い襞にたまった砂を、唾でしめして指で拭きとる、破廉恥な感触・・・そして、それらをいっそう猥褻なものに見せる、あのはにかみ笑い・・・その他、合算していけば、かなりの額になるはずである。信じられないといっても、事実なのだ。男は、女以上に、ものの破片や断片に耽溺する傾向があるものだ。
安部公房「砂の女」(新潮文庫)P211-212

砂丘の穴から抜け出せなくなった男の不条理は、齷齪した現代社会に潜む人間の不安や鬱積する性欲の暗喩であるといわれる。そこには男と女の虚ろな心理の物語が描かれており、一見、グールドの生活とは無縁のようだが、生涯独身を貫いた彼の内面にこそ窮屈な社会で生きることや性への極端な不信があり、であるがゆえにまた逆に興味があったのだろう。彼がこのシュールな小説に惹かれたのは、常に抱えていたこの自己矛盾によるものなのか。

社会には慣れなかった彼も、ピアノの前ではとても従順だった。
グレン・グールドによるエドヴァルド・グリーグのソナタを聴いた。
高度な集中力の中にある美しい音楽の宝庫。

・グリーグ:ピアノ・ソナタホ短調作品7(1971.3.13&14録音)
・ビゼー:夜想曲ニ長調(1972.12.13録音)
・ビゼー:半音階的変奏曲(1971.5.2&3録音)
グレン・グールド(ピアノ)

グリーグの若書きの作品の、特に第2楽章アンダンテ・モルトの素朴さと優しさ、そして美しさに恍惚となる。何より最後の祈りの静けさ!
また、夭折のジョルジュ・ビゼーの、文字通り夢みるような夜想曲の透明感、あるいは半音階的変奏曲の堂々たる威風。暗澹たる主題が、変奏につれて開かれてゆく様は見事に音楽的で、哀しいのだけれど、可憐で喜びに溢れ、幾度も聴きたくなる。

女がさしかけてくれる傘の下で、舌を焼きながら、海藻入りの雑炊をすすった。茶わんの底に、砂が沈殿して残った。
だが、記憶はそこで、とだえてしまう。あとは、ながい、息づまるような夢のなかにまぎれこむ。夢の中で、彼は、使い古しの割箸にまたがり、どこか見知らぬ街のなかを飛んでいた。割箸は、ちょうどスクーターのような乗り心地で、さほど悪くもないのだが、ちょっと気をゆるめると、たちまち浮揚力を失ってしまうのだ。
~同上書P91-92

グールドの音楽も、僕たちの記憶を途絶えさせ、夢の中に紛れ込ませるだけの力を持つ。
何て美しいグリーグとビゼー。

 

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