クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管のワーグナー「パルジファル」(1961Live)を聴いて思ふ

1964年秋の転倒事故により大腿部を骨折したハンス・クナッパーツブッシュは、そのまま回復することなく1965年10月25日、この世を去った。最後の年のバイロイト音楽祭には出演するつもりだったそうだが、それが叶わなかった無念はどれほどのものだったろう。
思うように動けなくなった人は意気消沈し、それが結果的に死期を早める。
生きる意欲は年齢を問わず他人に貢献できている事実から生まれるものだろう。

「パルジファルにおけるクンドリ」が彼の大学の卒業論文だそうだ。
なるほど、クナッパーツブッシュは生涯リヒャルト・ワーグナーに、いや舞台神聖祭典劇「パルジファル」の指揮に命を懸けた。

バイロイトと当地の音楽祭、その偉大さとドイツ文化にとっての意義を維持するためには、たったひとつの方法しかありません。それは、リヒャルト・ヴァーグナーがバイロイトの理念と考えていた、様式に忠実に上演するという偉大な意志を純粋に守っていくことです。彼が定めた、様式についてのこの意向は、何十年もの間コジマ・ヴァーグナーによって責任をもって守り続けられ、さらに彼女の息子ジークフリートによって、両親の神聖な遺産として保護されました。これこそ、次の世代に唯一指針を与える道であるべきです。
(1948年4月15日ミュンヘン)
フランツ・ブラウン著/野口剛夫編訳「クナッパーツブッシュの想い出」(芸術現代社)P3

1953年、ヴィーラントの抽象的な演出に抗議し、袂を分かったクナッパーツブッシュは一旦バイロイトを去った。彼のワーグナーへの忠誠と、舞台に対する信念の強固さがよくわかる行動であり、また言葉である。
ヴィーラントは代わりにクレメンス・クラウスを起用することにし、それは大成功を収める。翌年もクラウスを起用する予定だったが、不幸にも彼は1954年5月16日、演奏旅行先のメキシコで客死。慌てたヴィーラントは急遽クナッパーツブッシュと和解し、彼は以降、亡くなる前年までバイロイトの重鎮として「パルジファル」ほかを振り、かけがえのない名演奏を繰り広げた。

1961年のバイロイト。
この年の初めに胃潰瘍の大手術を受け、以後体力の衰えが著しくなったことで、彼は座って指揮するようになったそうだが、(最晩年のカール・ベームのように)おそらく動きが鈍くなった分、音楽は一層純化され、孤高の様相を示すようになった。恐るべき「パルジファル」。第1幕前奏曲から異次元。

・ワーグナー:舞台神聖祭典劇「パルジファル」
ジョージ・ロンドン(アンフォルタス、バリトン)
ルートヴィヒ・ウェーバー(ティトゥレル、バス)
ハンス・ホッター(グルネマンツ、バス)
ジェス・トーマス(パルジファル、テノール)
グスタフ・ナイトリンガー(クリングゾル、バス)
イレーネ・ダリス(クンドリ、ソプラノ)
ニールス・メラー(第1の聖杯騎士、テノール)
デイヴィッド・ワード(第2の聖杯騎士、バス)
クラウディア・ヘルマン(4人の小姓、ソプラノ)
ルート・ヘッセ(4人の小姓、ソプラノ)
ゲルハルト・シュトルツェ(4人の小姓、テノール)
ゲオルク・パスクータ(4人の小姓、テノール)
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(花の乙女たち、ソプラノ)
アニヤ・シリヤ(花の乙女たち、ソプラノ)
リタ・バルトス(花の乙女たち、ソプラノ)
クラウディア・ヘルマン(花の乙女たち、ソプラノ)
エリザベート・シェルテル(花の乙女たち、ソプラノ)
ドロテア・ジーベルト(花の乙女たち、ソプラノ)
ウルズラ・ベーゼ(アルト・ソロ)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団(1961Live)

粛々と、そして静かに進む第2幕の極上ドラマ。
深遠から湧き出、光と影が見事に入り乱れる様を見事に表現する。
何よりパルジファルとクンドリの対話からパルジファルの覚醒までの静謐でありながら妖気ある音楽に心動く。

パルジファル ああ何と!悲しい!俺は何をしてた?どこにいた?
母さん!優しい、懐かしい母さん!
息子が母さんを殺す定めだったのか?
ああ愚か者!間抜け!ほっつき歩いて!
どこをうろついていた?母さんを忘れて、
あんたを、あんたを忘れて!
愛しい大切な母さん!
クンドリ あんたはまだ苦痛というものを知らなかったから、
甘い慰めがあんたの心を癒す必要もなかった。
今あんたが後悔している母さんの悲しみと苦しみは、
愛による慰めで償うのが1番だよ。
井形ちづる訳「ヴァーグナー オペラ・楽劇全作品対訳集―《妖精》から《パルジファル》まで―」(水曜社)P321

何よりイレーネ・ダリス演ずるクンドリの絶唱と、ジェス・トーマス演じるパルジファルの安定の枯れた味わいの声の協演の素晴らしさ。

聖杯をめぐる受難劇の中にヒトラーは、死すべき運命にあるジークムントとジークフリートを超えて、「全能の創造主の意識の中で」世界を救済する道を示す英雄の典型を発見した。不幸なヴェルズング族はヒトラーの経歴の神話的な新解釈による見本を提供し、剣は苦難から血なまぐさい道徳を作り上げるよう導いたが、ドラマの中で結局これらは陰険な力の犠牲になった。待ち焦がれていた害悪からの救済がもたらされることなく、彼らは英雄の死を迎えた。「ニーベルングの指環」の最後は悲劇的であり、純粋な人間の解放闘争は「神々のたそがれ」による黙示録的破滅という結果になった。
それに対してパルジファルは生き延びた。彼は破滅から逃れることのできた最初の英雄だった。彼は悪魔的な陰謀に屈せず、純潔さと意志の力のおかげで(ハーゲンの計画のように)陰険に仕組まれた血の汚辱への誘惑から逃れた。純化された地上に「神の似姿」だけが生息するように、彼は悪の企みを打ち砕いた。
ヨアヒム・ケーラー/橘正樹訳「ワーグナーのヒトラー」(三交社)P375

その昔、上野でベジャール・バレエ団による「指環」を観たとき、「黄昏」の最後の音が止んでしばらく後に突如「パルジファル」前奏曲が流れ、多くの観客がおそらく金縛りに遭っただろうことを思い出した。パルジファル(の魂)は死なない。
そして、ハンス・クナッパーツブッシュの「パルジファル」は永遠だ。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村


2 COMMENTS

“スケルツォ倶楽部”発起人

ご無沙汰しております、私は残念ながら ベジャールのバレエ版「指環 」を観る機会はなく、その内容も全く知りませんでしたが、 「最後の音が止んでしばらく後に突如 『パルジファル』 前奏曲が~ 」 との岡本先生の文章を読んだだけで、ただそれだけで、自分の想像の舞台を頭の中でイメージでき、全身が勝手に金縛りに遭ってしまいました ! むむむ・・・ これは さぞ素晴らしい効果だったでしょうね。
私たち世代にとって 「パルジファル 」といえば、やはりクナッパーツブッシュ/バイロイト祝祭劇場 Live盤 (1962年)でした。ハンス・ホッター演じるグルネマンツの深遠さ、バイロイトのオケピを覗きこむような独特の乾いたサウンドを封じ込めたような・・・ ありがとうございます、久しぶりに全曲盤のLPに針をおろし、じっくり聴きなおしてみたくなりました。

返信する
岡本 浩和

>“スケルツォ倶楽部”発起人様

こんにちは、コメントをありがとうございます。
厳密には、「黄昏」の終曲後、
「苦痛は私の目を開かせた。私は世界の終わりを見たのだ」というナレーションと共に
出演者全員が床に坐って凝視するうちに、その悲しみを救済するように
「パルジファル」前奏曲が突如流れ、幕となるのでした。

あまりに印象的でそのシーンははっきり覚えているのですが、
1990年ということで、僕も若く、ベジャールの深層の真意までどれだけ理解できたかは
今となっては怪しいです。
今ならもっと深いところまでバレエそのものを理解できただろうと思うと、
機会があれば今一度鑑賞したいと思っております。

ちなみに、同じように1982年の来日での「魔笛」は長年渇望するプログラムだったのですが、
ついに来月観ることが叶います。楽しみで仕方がありません。(笑)

>ハンス・ホッター演じるグルネマンツの深遠さ、バイロイトのオケピを覗きこむような独特の乾いたサウンドを封じ込めたような・・・

これはもう永遠不滅ですよね。アナログ・レコードを所持されているとは羨ましいです。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む