オレグ・カエターニのショスタコーヴィチ交響曲第1番(2004.3Live)ほかを聴いて思ふ

個と全体のバランス感覚の素晴らしさこそがドミトリー・ショスタコーヴィチの本懐。
最初の交響曲は弱冠19歳の時に書かれたもので、古典の装いをまといつつ、全編革新満ちるその音楽に、早くも後のショスタコーヴィチの萌芽を見る。
初演後、全世界がその天才に驚き、絶賛したことは有名な話。

1926年という年は、さらにもうふたつの記憶すべき体験をもたらした。ふたたびロシアに行き、レニングラード・フィルハーモニーにおける一連の演奏会と、以前のマリア劇場におけるオペラ上演を1回だったか2・3回だったか指揮したのである。曲目は私の間違いでなければ、チャイコフスキーの「スペードの女王」であった。ニコライ・マルコから20歳になるディミトリィ・ショスタコヴィッチの話を聞かされ、彼が自作の「第1交響曲」をピアノで弾くのを聴いてやってくれと頼まれたのも、このときであった。作品および作曲者から受けた印象は強烈だった。そしてすでに触れたように、その後まもなく私はこの作品をベルリンでとりあげたのである。
内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏―ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)P371

ブルーノ・ワルターのお墨付きがあったのならその才能は間違いない。
期待に違わずショスタコーヴィチは20世紀ソヴィエトを代表する、否、音楽史を代表する大作曲家として全世界に君臨するのである。

人間の性質の根本というのは変わることはないのだと思う。
いかにもショスタコーヴィチらしい魑魅魍魎。静謐で優しく、しかし技術的には難易度の高いであろう独奏と、激烈な喧騒の総奏の、それこそアメーバの漸次分裂的繁殖の如くの巨大さ。

そこでは—他の言葉ではうまく表現できないのだが—激烈な増殖が起きていた。ペルシコフが掌を指すがごとくに熟知しているあらゆる自然法則を破り、なぎ倒しながら、アメーバは彼の目の前でものすごいスピードで繁殖していた。アメーバは光線の中で分裂し、分裂した部分がそれぞれ二秒後には若々しく新しい有機体に生まれ変わった。これらの有機体も数秒後には大きく成熟し、またすぐに新しい世代を生み出したのである。赤い光線の部分と、さらには顕微鏡で見えている円形の部分は手狭になり、そのため必然的に争いが起きた。新たに生まれたアメーバは怒りに満ちて互いに襲いかかり合い、相手を粉々にして飲み込んだ。新たに生まれたものにはさまれて、生存競争に敗れたものの屍が横たわっていた。最もすぐれた最強のものが勝利を収めたのである。
ミハイル・ブルガーコフ/増本浩子・ヴァレリー・グレチュコ訳「犬の心臓・運命の卵」(新潮文庫)P238-239

ブルガーコフが、1924年に発表した「運命の卵」がソヴィエト体制への痛烈な批判であったように、二枚舌ショスタコーヴィチの同じく体制への批判精神が秘かに宿る、オレグ・カエターニによる交響曲第1番。

ショスタコーヴィチ:
・交響曲第1番ヘ短調作品10(2004.3Live)
・交響曲第15番イ長調作品141(2005.6Live)
オレグ・カエターニ指揮ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団

第1楽章アレグレット—アレグロ・ノン・トロッポ冒頭から緊張感溢れるただならぬ雰囲気を醸し、音楽は有機的に前進する。続く第2楽章アレグロの、猛スピードでも乱れることのない見事なアンサンブルと、個々の奏者の美しい演奏に、オーケストラのメンバーが真にショスタコーヴィチの作品に感応している様を思う。
ちなみに、第3楽章レント冒頭のオーボエの虚ろな旋律に、後の彼の作品にも通じる哀愁、というより不安を煽る、まさに体制への抵抗の音化を感じるのは僕だけだろうか。金管群の咆哮に卒倒。何よりカエターニの情感たっぷりの指揮に感服。そして、アタッカで演奏される終楽章レント—アレグロ・モルトの熱狂、特にトゥッティの破壊力と独奏ヴァイオリンによる静かな祈りの対比に僕は感動するのだ。背後で打ち鳴らされるグロッケンシュピールの繊細さ!また、途中で現れるティンパニ独奏の意味深さ!あるいは、コーダの猛突進!

若書きとはいえ完成された名曲の、一世一代の名演奏。

 

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