ワルター指揮ウィーン・フィルのハイドン「軍隊」(1938.1.10録音)ほかを聴いて思ふ

時代の雰囲気を見事に切り取る歴史的名盤。
レコードの面白さは、その時代、その場所の空気感までもが知らず知らずのうちに収録されてしまうところ。特に、名演奏とされる諸録音には、如実にその傾向があるように僕は思う。仮に演奏者やいつ録音されたものなのかを知らずに聴いたとき、明らかに音楽以外の何かを感じさせる演奏こそが末代まで生き残るものなのではなかろうか。

その意味では、大戦前夜の、極めて個人的な緊張感や不安感の刻印された、不穏な時代にあって、それでも一方で、音楽へのひとかたならぬ愛情までもが刷り込まれた一世一代の名演奏、ブルーノ・ワルターがウィーン・フィルハーモニーを指揮して録音した諸作品の、彼らしい人間的な温かさに溢れ、ひとつひとつの音が見事に心に迫り来る美しさ。

シュヴァイツァーに似て彼は、人間のうちなる善に訴える才分を有したけれど、それでもけっして「聖人」ではなく、気分を高めるユーモアに満ちあふれた人、生を享受する喜びの人、談話の達人であって、その光彩を放つ精神は、だれでも彼を知った人なら、いつまでも忘れられない。生の終わりまで保ち続けた彼の火と燃える気性、すべての芸術問題における彼の絶対的非妥協性、辛辣で皮肉な発言となって表われたこともまれではない彼の高い気性、以上と対蹠的であるのは、かぎりなく暖かい感情と、心底からの善意と、やむことなき援助の決心だった。
(ヴォルフガング・シュトレーゼマン)
ロッテ・ワルター・リント編/土田修代訳「ブルーノ・ワルターの手紙」(白水社)P14

俗物であるがゆえの気性の荒さと人を愛する博愛精神の混淆した、否、というよりそれらの止揚した形が彼の唯一無二でなかったか。いわば、愛あるがゆえの非妥協こそブルーノ・ワルターの墓碑銘。
ハイドンもモーツァルトも、そして、ヨハン・シュトラウスもワーグナーも、果たしてマーラーも、すべての音色が時に柔らかく、時に激しく、時間と場所を超え、涙を誘う。

・ハイドン:交響曲第100番ト長調Hob.I-100「軍隊」(1938.1.10録音)
・モーツァルト:3つのドイツ舞曲K.605(1937.5.4録音)
・ヨハン・シュトラウスⅡ:皇帝円舞曲(1937.10.18録音)
・ワーグナー:ジークフリート牧歌(1935.6.19録音)
・マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調~第4楽章アダージェット(1938.1.15録音)
ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

絶品ハイドンの「軍隊」は、日本プレス盤とフランス・プレス盤の両方が味わえるというオーパス蔵の粋な計らい。プレスの違いにどれほどの意味があるのかと思う向きもあろうが、さすがにアナログ時代というのは、プレスによってこれほどにも印象が異なるのかというのが正直な感想。音の重みというか存在感は明らかに日本プレス盤が優位に立つ。

何年もたって再び所帯を持つために、ぼくらはウィーンで住宅を手に入れようとしている最中です。なるほど年に3ヶ月以上そこで過ごすことはまず無理でしょうが、そのうち家にいる時も多くなるでしょうし、なにしろ自分の家具や書物や楽譜やピアノなどを再びそろえられ、ぼくがウィーンにいる間は、家庭生活もできるわけです。
(1935年8月27日付、ザルツブルクからレーオ・シュレージンガー宛)
~同上書P230

1935年の時点では、彼にはまだまだ希望があった。
そういう心持ちの反映だろうか、「ジークフリート牧歌」は颯爽と軽快で、また安らぎに溢れる。
ちなみに、1938年3月13日には、ナチスによるオーストリアの併合があり、当時アムステルダムで客演中だったワルターは、帰国できないままウィーン国立歌劇場との契約を解消したという。

まだロッテは出ていないし(このためのぼくらはいっさいを尽くしています)、まだぼくのウィーンの住まいには、測り知れずかけがえのない物があるし、ぼくが払わねばならぬ税金のことで、まだむこうでは思案されています、―だから、なおしばらくの間、ぼくは「死んだふりをし」なければなりません。
(1938年4月2日付、モンテカルロからクラウス・マン宛)
~同上書P237

ナチスによる併合前の束の間の幸福を思わせるマーラーのアダージェットが甘く切なく、そして哀しい。あるいは、ハイドンの「軍隊」での、主題をゆったりと鳴らす確信に満ちた表情に、当時のワルターの自信と充実、そしてウィーンでの最後の光輝を思う。

 

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