グールド編のワーグナー「ジークフリート牧歌」(1973.2録音)ほかを聴いて思ふ

子供たちよ、この日のことは、わたしが感じたことも、わたしの気分も、何ひとつ言葉にできません。事実だけを淡々と書き綴ることにしましょう。目を覚ましたわたしの耳に飛び込んできた響き。どんどん膨れ上がってゆくその響きは、もはや夢の中のこととは思えません。鳴っていたのは音楽、それもなんという音楽でしょう。それが鳴りやむと、リヒャルトが5人の子供たちを連れてわたしの部屋へ入ってきて、「誕生祝いの交響楽」のスコアを手渡してくれたのです。わたしは涙にかき暮れ、家じゅうが涙につつまれました。リヒャルトは階段にオーケストラを配置して、わたしたちのトリープシェンを永遠にきよめたのです。曲の名は《トリープシェン牧歌》。
(1870年12月25日、日曜日)
三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記2」(東海大学出版会)P274-275

「ジークフリート牧歌」(いわゆる)初演にまつわる有名なエピソードが、妻コジマの筆によってリアルに、そして感動的に語られるとき、眼前にそのシーンまでもがまざまざと映り、まろやかで癒しに溢れる音楽の美しさに永遠を重ねてしまうのは果たして僕だけだろうか。
リヒャルト・ワーグナーの女性性の部分が投影される傑作。

グレン・グールドが生涯最後に、つまり、亡くなる1ヶ月ほど前にトロント交響楽団の13人のメンバーと共に録音したのが、このオリジナル版の「ジークフリート牧歌」であったことは、とても不思議であり、またとても感慨深い事実。24分半に及ぶこの演奏は、まるで自身へのレクイエムの如く、現世への別れの如く響く(聴こえる)のは、これが彼の最後の録音であることを僕たちが知っているからかどうなのか。

・グールド:弦楽四重奏曲作品1(1960.3.13録音)
シンフォニア弦楽四重奏団
カート・レーベル(第1ヴァイオリン)
エルマー・セッツァー(第2ヴァイオリン)
トム・ブレナンド(ヴィオラ)
トマス・リベルティ(チェロ)
・ワーグナー:ジークフリート牧歌(13楽器によるオリジナル版)(1982.7.27, 29&9.8録音)
グレン・グールド指揮トロント交響楽団のメンバー

一方で、彼が1973年に録音した、自身の編曲による「ジークフリート牧歌」を聴いてみると、その何とも表現し難い、宙に浮いたような、中間生のような趣の大仰でない静謐な音楽に、ワーグナーの、妻への一方ならぬ愛情が想像でき、思わず感動する始末。

ワーグナー(グールド編曲):
・楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕前奏曲(1973.6.30録音)
・楽劇「神々の黄昏」~夜明けとジークフリートのラインへの旅(1973.5.14&6.30録音)
・ジークフリート牧歌(1973.2.3&4録音)
グレン・グールド(ピアノ)

洋々たる「マイスタージンガー」前奏曲の煌きに勇気をいただく。

ニーチェの「悲劇の誕生」で、知的なものはアポロン的、情念的なものはディオニュソス的と呼ばれるわけだけど、グールドの演奏には逆説的にいえばアポロン的エクスタシーみたいなものがあるわけじゃない?つまり、ものすごく知的なことをやってるんだけれども、それがそのままエクスタティックであるというふうな、不思議な交錯があって、それで彼の演奏している姿から目が離せないんじゃないか。
(坂本龍一×浅田彰「2032年のグレン・グールド」)
KAWADE夢ムック「グレン・グールド」(河出書房新社)P198

浅田彰さんの言葉が的を射る。
「夜明け」のピアニスティックな響きと、「ラインへの旅」の見事な空間的拡がりに、グールドの弾くピアノの交響的解釈に、アポロン的でない、またディオニュソス的でもない、ワーグナーの思念を超えた崇高な芸術の本質的な在り方を思う。

ところで、三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記3」(東海大学出版会)が、ついに発刊された。元々2007年に始まったこの企画は、10年で全10巻をリリースする予定だったそうだが、何と2017年現在でようやく3巻に辿り着いたに過ぎない。何より第1巻の上梓まで20余年がかかったそうだから、果たして完結をみるのかどうなのか・・・。
三光さんは来年90歳を迎えるわけで、とにもかくにも1巻でも多く、この稀代の重要な資料の邦訳本を世に問うていただきたいと切に願うばかり。

 

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