ブリテン指揮イギリス室内管のモーツァルト「プラハ」K.504(1970.7録音)ほかを聴いて思ふ

指揮者ベンジャミン・ブリテンの真骨頂。
いくつか残されたモーツァルトの交響曲の録音を聴いて、天才ブリテンが天才モーツァルトに心から共感し、彼なりの味付けをしつつも極めて正統にモーツァルトの音楽を表現しようと試みる真摯な姿が想像され、心底揺さぶられる。

例えば、交響曲ト短調K.550(1788年7月25日完成)の、聴き手の感情を揺さぶる魂の慟哭。第1楽章モルト・アレグロ提示部の哀感こもる旋律と展開部の凄まじさ。また、16分超に及ぶ第2楽章アンダンテの平安と不安定の間を行き来する憂愁。そして、とてもメヌエットとは思えぬ、愉悦を排した第3楽章アレグレットの激情(冒頭をレガートで奏させるひらめきに膝を打つ)。さらに、恐るべきは、終楽章アレグロ・アッサイのまるで業火の如くの主題が、音楽が進むにつれ緩やかに天国的響きへと昇華され行く様。
素晴らしい。

モーツァルトは何という音楽を生み出したのだろう!!
あらためて思う。

モーツァルト:
・交響曲第40番ト短調K.550(1968.5.29録音)
・交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」(1970.7.30&31録音)
ベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団

一音一音を踏みしめるように開始される、「プラハ」交響曲(1786年12月6日完成)K.504第1楽章序奏アダージョの重厚な響きと、有機的な音調に僕は思わず快哉を叫ぶ(ティンパニの生々しく意味深い音に感動)。主部アレグロに移行してからの、シンコペーションのリズムに乗って奏でられる優しくも軽快な主題の輝き!!1786年当時のモーツァルトの創造力の充実が手に取るようにわかる。
続く第2楽章アンダンテにおける、陰と陽の間を揺れ動く感情の微細な動きを見事に表現するブリテンの手腕。これはやっぱり本物だ。そして、終楽章プレストの軽妙ながら迫真の厳しさ!!

美は人を沈黙させるとはよく言われることだが、このことを徹底して考えている人は、意外に少ないものである。優れた芸術作品は、必ず言うに言われぬあるものを表現していて、これに対しては学問上の言語も、実生活上の言葉もなすところを知らず、僕らはやむなく口を噤むのであるが、一方、この沈黙は空虚ではなく感動に充ちているから、何かを語ろうとする衝動を抑え難く、しかも、口を開けば嘘になるという意識を眠らせてはならぬ。そういう沈黙を創り出すには大手腕を要し、そういう沈黙に堪えうるには作品に対する痛切な愛情を必要とする。美というものは、現実にある一つの抗し難い力であって、妙な言い方をするようだが、普通一般に考えられているよりも実ははるかに美しくもなく愉快でもないものである。
小林秀雄「モオツァルト」(角川文庫)P16-17

なるほど、小林秀雄の言葉には真実が宿る。「美というものの醜さ」、あるいは「醜さの中にある美しさ」とでも言えばいいのか、すべてを包含する内側にこそ言葉にならない真の美しさ、すなわち真理があるのだと僕は思うのだ。
果たしてモーツァルトは神なのか、愛なのか、または慈悲なのか。
どんなに言葉を尽くしても言葉そのものが陳腐になる。
ならば、潔く音楽だけを堪能しよう。

 

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