グールドのベートーヴェン3つのソナタ作品31(1967-73録音)を聴いて思ふ

テンポ、タッチ、音色、デュナーミク、アゴーギク、・・・すべてが強力な意志に貫かれるグレン・グールドのベートーヴェン。それは、バッハ以上に真っ当(?)であり、もちろんモーツァルトのように決して反抗的でない、数十年の時を経ても色褪せることのない普遍性を持つ演奏である。

当時すでに難聴の傾向の始まっていたベートーヴェンの、「ハイリゲンシュタットの遺書」に行き着く直前の、不思議と献呈者のいない傑作。初期にあった先達からの影響はもはや払拭された、まさに「傑作の森」入口の手前に立つ3つのソナタが、グールドの手によって必然をもって開花する。

僕はこれまでより人と交わるようになって、今またいくらか愉快に生活している。この2年来いかに荒涼たる悲惨な生活を送ってきたことか、ほとんど君の想像に余るものがあるだろう。耳が通りということが、亡霊のごとく至る所で僕を脅かした。そして僕は人を避け、少しも人嫌いでないのに厭人主義者のように見えたに違いない。―今度の変化は、一人の愛らしい魅惑的な乙女のせいなのだ。―彼女は僕を愛してくれ、僕もまた愛している。2年ぶりでまた幾らか幸福な瞬間を楽しんでいる。結婚して幸福になれるだろと考えたのは、今度初めてだ。ただ遺憾なことは、身分が違うのだ。―で今は―結婚なんかもちろんできないだろう。―僕は相変わらず元気で飛び廻らねばならぬ。耳がこんなでなかったら、もうとっくに世界の半分を廻っていただろうに。
(1801年11月16日付フランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラー宛)
小松雄一郎編訳「新編ベートーヴェンの手紙(上)」(岩波文庫)P85

苦悩こそがベートーヴェンの創造の源であることがわかる。また一方、恋愛体験も彼の創造力を一層刺激するのだということがよく理解できる。手紙の中の乙女とは、「月光」ソナタを捧げたジュリエッタ・グィチアルディだと推測されているが、作品31の3つのソナタがこの手紙の頃書かれていたことは間違いなく、おそらくそういう背景を知っていたグールドは、ベートーヴェンの熱い恋の想いを見事に音に託したのである。ここにあるのは瑞々しさと、同時に熱狂。何とも美しい。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第16番ト長調作品31-1(1971.8.29&1973.5.15録音)
・ピアノ・ソナタ第17番ニ短調作品31-2「テンペスト」(1967.1.9,10,24,25&1971.8.29録音)
・ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調作品31-3(1973.5.15録音)
グレン・グールド(ピアノ)

特筆すべきは作品31-2「テンペスト」!
第1楽章ラルゴ―アレグロの幻想。グールドらしく、一音一音をポツポツと切って雄洋に歌う第2楽章アダージョの詩情。終楽章アレグレットは、グールドのアクロバティックな指さばきが手に取るようにわかるもので、テンポの理想的な動きと合わせ、実に素晴らしい。
そして、隠れた(?)名曲変ホ長調作品31-3の、冒頭の虚ろで暗い表情が、当時のベートーヴェンの苦悩を思わせるも、音楽が進むにつれ解放され、明るさを取り戻す様に、グールドのマジックを知る。何より第3楽章メヌエットの優しさ。

 

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