モーツァルト カノン全集(1986-91録音)を聴いて思ふ

さあ、お休み。花壇の中でバリバリッとウンコしなさい。では、さよおなら。ありゃっ、お尻が火のように燃えてきたぞ!こりゃ何事だ!—きっとウンコちゃんのお出ましだな?—そうだ、そうだ、ウンコちゃんだ。ぼくにゃおまえのことはわかってるぞ、見つけたぞ、うん、臭ってくる。それにこりゃ、なんだ?
(1777年11月5日付、マイハイムのモーツァルトからマリア・アンナ・テークラ宛)
高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P213

モーツァルトのスカトロジック趣味は、神聖なモーツァルトのイメージを壊してしまうということでタブーとされ、以前は公表すらされていなかったそうだが、彼は崇高な音楽作品を世に問う一方で、開けっぴろげの、一切の妥協のない、恥と外聞を捨てたような洒落の応酬である個人的な書簡をこんな風に書いていたことを知ると、彼がやっぱりひとりの人間だったことがわかり、その音楽までもがより身近なものに感じられるようになるのだから面白い。当の本人は、後世にまで伝えられ、誰彼構わず読まれてしまうなどとは思いもよらなかっただろうけれど。

明らかに習作的なもの、あるいは単なる断片のものも多いが、モーツァルトのカノンは、さすがにモーツァルトだけあり、一つの作品として十分に通用する、興味深いものが多い。例えば、1782年の作とされるカノン「おれの尻を嘗めろ」K.231(382c)は、2分余りの無伴奏合唱曲だが、(6声ゆえ)いかにも技巧的で、深刻なものであるだろうと想像できるだけの力が音楽にある。それに、歌詞をよく読み込んでみると、決して卑猥なものでなく、むしろ聴く人に元気を与えようとするものだということがよくわかる。

おれの尻を嘗めろ
ボソボソ言っても始まらない
ブツブツ言っても
グズグズ言っても始まらない
人生にとっちゃ役立たず
グズグズ言っても始まらない
だから楽しく元気でやろうぜ
(石井宏訳)

文句を言わず、何でも陽気にやってみようぜ、と。モーツァルトらしい。

モーツァルト:カノン全集
カノン
・私は心からあなたが好きK.348(382g)
・おい、フライシュテットラーK.232(509a)
・プラーターに行こうK.558
・Difficile lectu mihi mare K.559
・ああ、なんとバカなバイエルK.560a(559a)
・あの子が死んだK.229(382a)
・幸なるかな、ものみなすべてK.230(382b)
・4声のカノンイ長調K.89I(73i)
・いやいや、人生の短いことK.228(515b)(三重カノン)
・わが愛する人よK.562
・カノンヘ長調K.508a 第1,2曲
・カノンヘ長調第1-5曲/カノンヘ長調K.508a第3曲
・シャンパンがグラスに光る店でK.347(382f)
・浮き浮きと愉快にやればK.507
・皆さんの健康を祝しますK.508
・支度をしろK.556
・おれの尻を嘗めろK.231(382c)
・酒ほど気分のいいものはないK.233(382d)
・食って飲めば体のためK.234(382c)
・お休みなさいの歌K.561
・カノンヘ長調第6-10曲/カノンヘ長調K.508a第4~6曲
・4つの謎のカノンK.89aII(73r)
・カノン(4声)ハ長調K.Anh.191(562c)
・カノン(3声)ハ長調K.508A
・私は涙にくれるK.555
・私の太陽は死んだK.557
・カノンヘ長調第11-14曲/カノンヘ長調K.508a第7,8曲
・4声のカノン変ロ長調K.562a
・カノンヘ長調
・キリエト長調K.89(73k)
・アヴェ・マリアK.554
・アレルヤK.553
コンチェントゥス・ヴォカリス女声合唱団
グィド・マンクージ指揮コルス・ヴィエネンシス
ウーヴェ・クリスティアン・ハラー指揮コルス・ヴィエネンシス
バイエルン放送交響楽団員
(1986.10, 1990.7 &1991.1録音)

そして、1786年6月3日完成のピアノ四重奏曲変ホ長調K.493の直後に書き残されたと言われる、20秒余りの「浮き浮きと愉快にやれば」K.507も、他人を鼓舞するだけの力に溢れるものだ。

浮き浮きと愉快にやれば
心もはずみ気分は良くなる。
悩みはどこかへ飛んで行け
幸せな心を暗くしてくれるな
(石井宏訳)

冗談とも本気ともつかない生き方こそがヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの本懐。この2面性こそが天才の証。

スタンダアルはモオツァルトの音楽の根底はtristesse(かなしさ)というものだ、と言った。定義としてはうまくないが、むろん定義ではない。正直な耳にはよくわかる感じである。浪漫派音楽がtristesseを濫用して以来、スタンダアルの言葉は忘れられた。tristesseを味わうために涙を流す必要がある人々には、モオツァルトのtristesseは縁がないようである。それはおよそ次のような音を立てる、アレグロで。(ト短調クインテット、K.516)。
小林秀雄「モオツァルト」(角川文庫)P35-36

スタンダアルの時代も、そして小林秀雄が「モオツァルト」を書いた時代も、モーツァルトの猥雑な書簡は公開されていなかったという。果たして彼の音楽の根底に流れるものは「悲しみ」なのかどうなのか。僕は、もっと根源的な、人間の感情を超えた、悟性を刺激する叡智の詰まった箴言がこそがモーツァルトが音楽に秘めた心なのだと今は思う。

 

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