ノット指揮東響のモーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527(演奏会形式)

たぶん会場の造りのせいもあるのだと思う。
何だか架空のドラマとは思えない、とてもリアルな印象を与えてくれた「ドン・ジョヴァンニ」。聴衆は単に聴衆ではなく、ドン・ジョヴァンニの酒宴に招かれた客であるかのような錯覚を覚えるほどすべてが「近い」存在だった。何より音楽は、今生み出されたものであるかのように常に生き生きと生々しく、演奏会形式とはいえ、相応の、現代的な演出を伴った舞台は、最初から最後まで見事に熱かった。

ジョナサン・ノットは自らハンマーフリューゲルを弾き、そして指揮をする。小編成のオーケストラはどの瞬間もものを言い、モーツァルトの音楽が輝かんばかりに囁き叫ぶ。
序曲から速めのテンポを遵守し、同時にこの歌劇の「山あり谷あり」を簡潔かつ具体的に描写する表現は、冒頭数秒で(おそらく)聴く者の心を鷲づかみにした。何という軽快さ、しかし一方、また何という重厚さ。

リアン・リの騎士長は期待通り。第1幕第1場、ドン・ジョヴァンニに殺されるシーンの迫真の演技と存在感のある豊かな歌に、第2幕最後の、石像となって現れる騎士長の場面の壮絶な歌唱を僕は想像した。透明でありながらどこまでも重みと勢いのある彼の歌は唯一無二。
歌手は陣容が素晴らしく、誰もが絶品で、第1幕が終わった後、珍しくカーテンコールがかったほどだから、聴衆でだけでなく演奏する側もかなりの手応えがあったのだと思う。
とはいえ、僕の印象ではずば抜けて素晴らしかったのが、ミヒャエラ・ゼーリンガー演じるドンナ・エルヴィーラ(急病で来日不能となったエンジェル・ブルーの代役でありながら)!!第5場第3番のアリア「ああ、いったい誰が私に言ってくれるの、あの酷い人がどこにいるのかを?」を聴いて、その集中力と凄みに釘付けとなり、最後の最後まで切れが落ちなかった点が見事。
ただし、カロリーナ・ウルリヒのツェルリーナは少々イメージ違い(彼女はもっと小柄であってほしいというのが僕の本音)。例えば第16場で、ツェルリーナがクレシミル・ストラジャナッツ演じるマゼットに向って走り、抱きつくシーンの不用意な滑稽さ(印象含め完璧な舞台を創造することの難しさよ)。
ちなみに、第20場、第1幕フィナーレの大舞踏会の場面の六重唱は圧巻(下手にドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィーラ&ドン・オッターヴィオ、そして上手にマゼット、ツェルリーナ、レポレッロ)。

2017年12月10日(日)15時開演
ミューザ川崎シンフォニーホール
・モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527(演奏会形式・原語上演)
第1幕

休憩(25分)
第2幕
ジョナサン・ノット(指揮、ハンマーフリューゲル)
東京交響楽団
グレブ・ニキティン(コンサートマスター)
新国立劇場合唱団(合唱指揮:冨平恭平)
原純(演出監修)
マーク・ストーン(ドン・ジョヴァンニ、バリトン)
リアン・リ(騎士長、バス)
シェンヤン(レポレッロ、バス・バリトン)
ローラ・エイキン(ドンナ・アンナ、ソプラノ)
アンドリュー・ステープルズ(ドン・オッターヴィオ、テノール)
ミヒャエラ・ゼーリンガー(ドンナ・エルヴィーラ、メゾソプラノ)
クレシミル・ストラジャナッツ(マゼット、バス・バリトン)
カロリーナ・ウルリヒ(ツェルリーナ、ソプラノ)

物語は想像以上に(悲劇というより)喜劇的側面が強調されていたようで、第1幕約90分、そして第2幕約80分があっという間に過ぎ去った。そこにあるのはモーツァルト的愉悦。

25分の休憩をはさみ、第2幕(休憩時、トイレでゲルハルト・オピッツにばったり遭遇した。リサイタルの合間に聴きに来られていたよう)。
こちらも急遽代役で登場したドン・ジョヴァンニ役のマーク・ストーンの色仕掛けの情感豊かな歌の美しさ。例えば、マンドリンと弦のピツィカートを伴奏にした第16番カンツォネッタ「おいで窓辺に」での朗唱に感激。あるいは、第22番二重唱(ドン・ジョヴァンニ&レポレッロ)での、恐怖のない余裕綽綽の姿と歌に畏怖を覚えるほど。しかしながら、館でのフィナーレ、石像となった騎士長登場シーンの、うねり轟く音楽の不気味な見事さと、ここではやはりリアン・リの圧倒的歌唱に賛辞を贈りたい。

悔い改めるのだ、生活を変えるのだ。
最後の時なのだ!
アッティラ・チャンバイ/ティートマル・ホラント編「名作オペラブックス21 ドン・ジョヴァンニ」(音楽之友社)P169

ドン・ジョヴァンニを地獄に突き落とした後、音楽は一変、見事な明るさを湛える。舞台正面、一列に並んでの六重唱。

これが悪人の最後だ!
そして非道な者たちの死は
いつでも生とは同じものなのだ!
~同上書P175

なんと途中、倒れていたドン・ジョヴァンニは生き返り、徐に6人の列を順に巡り、最後は8の字で回った後、どういうわけかドンナ・エルヴィーラの前で立ち止まり、彼女に向けて何やら仕草をした(僕の座席位置からは死角になって何をしたのか確認できなかった)。

直前、エルヴィーラはこう歌っている。

私は修道院に入って、生涯を終えることにしましょう。
~同上書P173

果たしてあの動きには演出上どんな意味、意図があったのだろう?
終演後の圧倒的喝采と、幾度も繰り返されるカーテンコールが、今夜の演奏の素晴らしさと感動を物語っていた。脱帽。

 

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