例によってリリース時、セールス的には奮わなかったエイジアのサード・アルバム。
個人的には思い入れのある、好きなレコードだったが、いかにも予定調和の、当時のエイジアらしいポップな志向を最大限にアウトプットした楽曲が目白押しだけに(さらにスティーヴ・ハウの脱退が響いたか?)、昔からのファンにはさらにそっぽを向かれたのだろうと思う(純粋なエイジア・ファンからは飽きられた?)。
Do something different!!(違ったことをしよう!)
何事もルーティンに陥ることを避けねばならぬ。
30余年ぶりにひもといた。
ジョン・ウェットン亡き今、彼の澄んだ歌声を聴いて、涙が出るほど感動した。
間違いなくエイジア、エイジア以外生み出すことのできなかった音楽がここにはある。
イントロから大袈裟なオーケストレーションの施された第1曲”Go”には魂を鼓舞する力が漲る。また、あまりに美しく透明な第2曲”Voice Of America”の、何よりジェフ・ダウンズのキーボードとコーラスによるバロック的間奏に心躍り、またマンディ・メイヤーによる劇的なギター・ソロにも今さらながら魅かれる。
Personnel
Geoff Downes (keyboards)
Mandy Meyer (guitar)
Carl Palmer (drums)
John Wetton (vocals and bass guitars)
そして、第5曲”Rock And Roll Dream”の恐竜の如くの壮大な(?)世界観に、僕は、わかっていてもあえて引きずり込まれるのである。決められたパルス、常套の方法論、それこそエイジアの強みであり、また弱みでもあった。
Do something different!!(違ったことをしよう!)
何事もルーティンに陥ることを避けねばならぬ。
続いてベラ・バルトークの弦楽四重奏曲を聴いた。
彼が生涯に生み出した6曲は、すべてが異なる方法で書かれており、そしてすべてが革新的であり、また永遠だ。
父は自分の作品についてあまり語らず、作曲を教えるのも断っていた。以前その理由をムカデの話を引き合いに出して説明してくれた。「ムカデは、どうすれば100本もの足をもつれさせずに歩けるのか、と他の虫に聞かれた。ムカデはやって見せようとした。かわいそうにムカデは意識しすぎてかえって混乱し、まったく歩けなかったそうだ。」私が父の新作を知る機会といえば、たいていはブダペスト初演の時か、家で父が練習している時だった。父は私に教えている時も多くを語らなかった。
~ペーテル・バルトーク/村上泰裕訳「父・バルトーク―息子による大作曲家の思い出」(Stylenote)P207
創造とはインスピレーションであり、また感性であり、それは定量化できず、説明不能のものなのだろう。他人に教えられるものではないのだ。であるがゆえに、バルトークの生み出した作品群はどれもが(真似のできない)傑作揃いなのだと思う。
バルトーク:
・弦楽四重奏曲第2番作品17(Sz67)(1917)
・弦楽四重奏曲第4番(Sz91)(1928)
・弦楽四重奏曲第6番(Sz114)(1939)
タカーチ弦楽四重奏団
エドワード・ドゥシンベル(第1ヴァイオリン)
カーロイ・シュランツ(第2ヴァイオリン)
ロジャー・タッピング(ヴィオラ)
アンドラーシュ・フェイェール(チェロ)(1996.9.9-13録音)
第2番の、生気に満ちる第2楽章アレグロ・モルト・カプリチオーソの後の、第3楽章レントの、バルトークらしい暗澹たる表情が、完全なる音楽の様相を示す様、それを本当に美しく、また意味深く奏するタカーチの4人の一触即発のアンサンブルが素晴らしい。
また、傑作第4番の中心となる第3楽章ノン・トロッポ・レントの静けさの内に鳴り響く森羅万象の音に感無量(これぞThe sound of silence!!)。
さらには、暗黒の世界に突入するヨーロッパを嘆く第6番の得も言われぬ深みと美しさ。
どこをどう切り取っても、バルトークの音楽に2つとして同じものはない。
それでいてすべてが唯一無二のマスターピース。恐れ入る。
Do something different!!(違ったことをしよう!)
何事もルーティンに陥ることを避けねばならぬ。
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昨年の今頃はウェットンのツイートをチェックするのが日課でした。
8月末にはツイッターも閉鎖されたようですが
闘病している自身を曝しながら発信し続けるその覚悟に
深い感銘を覚えていました。
クリスマスツリーの飾られた部屋で、ロバート・フリップと並んで
素晴らしい笑顔のツーショットもありましたね♪
岡本さんが仰る「実際に会って話すこと」の大切さと
2人の間の縁というものか…
あの笑顔からも窺えるように思います。
YouTubeで見つけた後、ブートを探し出して入手したのですが
アストラ発表の翌年、6月5・6日の2日間だけマーキーで
ミュージック・セラピーのためのチャリティギグが行われたそうです。
当初、ウェットンはエイジア名義でやるつもりだったらしいのですが
マンディ・メイヤーは既に離脱、ダウンズはプロデュースで多忙であり
参加メンバーはウェットン、パーマーの他
メイヤーの前にエイジア参加を打診されていたロビン・ジョージと
ドン・エイリー、フィル・マンザネラです。
Don’t Cry
https://www.youtube.com/watch?v=qWD66sTpAyI
当時の世間の風評がどうあろうと、作品は生き続けますから!
>みどり様
僕は今年のはじめまでウェットンが病気であることを知りませんでした。
友人がFBにやせ細って別人のようになっている彼の写真をアップしていたのを見て衝撃を受けました。
確かにフリップとのツーショットの笑顔は素晴らしかったと思います。
それにしても80年代のエイジアの、というかウェットンのライブは素晴らしいですね。
2007年のオリジナル・エイジア復活来日コンサートを厚生年金で、
その前年のウェットン&ダウンズの原宿でのギグを聴きましたが、
声の張りと伸びが明らかに違います。
あの当時のステージに触れてみたかったとつくづく思います。
>当時の世間の風評がどうあろうと、作品は生き続けますから!
同感です!
ありがとうございます。