バスティアンとバスティエンヌ

mozart_bastien_koch.jpgここのところ独墺系のいわゆる正統派(?)クラシック音楽から遠ざかっている。今月の「早わかりクラシック音楽講座」のテーマはまたしてもベートーヴェンなので、この天才作曲家の周辺をいろいろと聴き込んでみるべきなのだが、個人的にはさんざん聴き過ぎるくらいに聴いてきた「エロイカ」交響曲を、講座当日に新鮮な耳で捉えるためには、あえて聴かない方が良いのじゃないかという考えからそうしている。

とはいえ、面白いのはコダーイを聴こうが、ヴィラ=ロボスを聴こうが、あるいはストラヴィンスキー、はたまたエルヴィス・コステロやビル・エヴァンスを聴いても、(ジャンルを問わず)ベートーヴェン以降の音楽家は、とどのつまりはこの楽聖の「革新」と「深い精神性」を(意識的であろうと無意識的であろうと)模範にしつつ、創作活動を行っていた(行っている)のだろうと思え、月並みな言い方だがベートーヴェンの(ある種突然変異的な)偉大さをあらためて知り、こと音楽に関しては、過去も未来も全部が彼を中心に派生し、回っているのではないか、すなわちつながってるのではないかと思わせられる。

ベートーヴェンの音楽を聴くことは、終わることのない旅のようなもので、いつどこで聴くかによっても印象は大いに変わるし、聴き続けることでこちらの感覚やセンスが研ぎ澄まされていくことを思うと、ひょっとすると「自分磨き」のツールの一つとして最高のものなんじゃないか、そんなようにも思うのだ。楽聖の音楽をまだまだ知らない人にはぜひとも勉強していただきたい。

昨日はまる一日学生の前で話し続けた。賞味6時間はしゃべりっぱなしである。当然、少しばかり声が嗄れた。今の学生に共通しているところは、感じていること、考えていることがあまり表情や態度に現れないこと、授業中は基本的に能動的に動くことは少ないということ。ただし、潜在的に間違いなく能力をもっていること、しっかり考えていることは授業最後の感想や質問に来る態度からよくわかる。何とか「才能」に気づき、「あなたらしさ」を伸ばし、その人らしい「仕事」に就けるようサポートしたいと思う。

革新、新しいことを始めるにはアイデア力と全体を俯瞰的に見られる能力が必要である。ベートーヴェンはまさに「そういう」能力を持っていたようで(後世に名を残す芸術家は誰でも同じだろう)、著作権などなかった時代に、あらゆる先達からメロディを頂戴し、自分なりに昇華し(というよりまるで自分のもののようにしてしまって)、それを享受する我々に有無をも言わせないほどの説得力を持って、自身の作品として披露する。それはそれは見事としか言いようがない。

モーツァルト:歌劇「バスティアンとバスティエンヌ」K.50
アデーレ・シュトルテ(ソプラノ)
ペーター・シュライヤー(テノール)
テオ・アダム(バス)
ヘルムート・コッホ指揮ベルリン室内管弦楽団

いつだったか雅之さんからご紹介いただいたモーツァルトの12歳時(!)の作品である。この序曲の主題をベートーヴェンが拝借したということで当時聴いてみて驚いた。大らかな時代だったことが窺えるが、それにしても現代だったらあり得ないほどの引用ぶりである。とすれば、「エロイカ」交響曲は、モーツァルトの生みだした名旋律にベートーヴェンが最高の化粧を施した、ある意味2人の天才の共作ということになる(ただし、ほかの作曲家からの引用もあるようだから一概にそうとも言い切れないのだが)。

それにしても歌劇「バスティエンとバスティエンヌ」はとても少年の作品とは思えない。先日話題にした石川遼君の12歳時の作文も見事だが、モーツァルトとは比較にならない。


4 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>ベートーヴェンの(ある種突然変異的な)偉大さをあらためて知り、こと音楽に関しては、過去も未来も全部が彼を中心に派生し、回っているのではないか
私も月並みな言い方ですが、やはり、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの3人でしょうね、その後の西洋音楽の礎を築き方向性を決めたのは。好むと好まざるとに関わらず西洋音楽の根幹であり、座標軸の中心なんですよね、彼らは・・・、そう、北極星みたいな存在・・・。
後世の音楽家が彼ら3人からの呪縛から逃れるためには、アフリカとかインドとかその他民族音楽などに向かうしかなかったわけですよ、必然的に・・・。
石川遼君について・・・。ギネスに載るほどの驚異的スコアで優勝することもあれば、予選落ちすることもある・・・、彼も人の子です(笑)。
スポーツを観戦していると、贔屓のチームが勝つことも負けることもあり、1回~数回のコンサートを聴いただけでその演奏家の価値を決めつけ、わかったつもりになるクラシック・ファンや評論家は、私も含め、大馬鹿者そのものだと思っています(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
ほんとうに「北極星」、ですね。
石川遼君のすごいところは、「人」を感じさせてくれるところですよね。決して完璧じゃないけれど、時に途轍もないことをやってのけるところがまた人気の理由ですよね。
>1回~数回のコンサートを聴いただけでその演奏家の価値を決めつけ、わかったつもりになるクラシック・ファンや評論家は、私も含め、大馬鹿者そのものだと思っています
おっしゃるとおりです!!
ところで、重ね重ね「バスティアン」のご紹介ありがとうございます。雅之さんからご紹介いただいたことで「エロイカ」の楽しみ方の幅が広がりました。

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » モーツァルトに耽る

[…] 昨日はモーツァルトに浸った。今夜はモーツァルトに耽る。またもや最初の本格的なジングシュピール(厳密には「バスティアンとバスティアンヌ」が初)である「後宮からの逃走」を(半年ほど前にも採り上げたが)。僕は昔から「魔笛」を何より愛するが、その「魔笛」の先取りがこのオペラであり、モーツァルトがウィーンに移り住んで間もない時期の作品ですでに完成していたんだということをあらためて確認し、やっぱり感動した。 […]

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