dancing Beethoven (2017)

何事にも表裏があり、両面は確実に違っているものだけれど、そもそもすべては一体なのだと思った。どんな舞台も、それが創られるプロセスを知ることで一層その「意味」が理解できる。とても良いドキュメントだった。

モーリス・ベジャールはかく語る。

とはいっても、《第九》は全く「個人的」なバレエではなかった。私は自分の小世界、苦悩、夢、あるいは妄想を、そこで見せることを断念した。それはリレー競争に参加しているような気がした。ベートーヴェンから受けた松明を手にする自分に、突然気がついたのだ。アズテックのピラミッドを眺めているように、この音楽を聴いていた。こんな時には、「私」はなくなってしまうのだ。《第九》は儀式となる。私は異教的なものでも俗人的なものでもなく、宗教的なものを望んでいた。しかし今日、宗教は修復不能なので、せめて安らかな祈りの感情を呼び起こしたかった。私はベートーヴェンの手に縋り、その誘導に身をゆだねた。『歓喜への賛歌』の歌詞を読み、すぐに信じた、「一つになれ、人類よ―聖なる喜び―」。
~前田允訳「モーリス・ベジャール自伝―他者の人生の中での一瞬・・・」(劇書房)P291

四季の移ろいの中で、総力をかけて創造されるモーリス・ベジャールのベートーヴェン
確かに歓喜と人類の一体化を謳う「第九」は、楽聖の崇高な精神の下、生み出されたに違いない。しかしながら、毎年末、日本の国では風物詩となるこの曲は、決して聖なるものではなく、あくまでも人間的で、俗世間からは離れ得ない、聴衆にとって文字通り「歓喜」の音楽なのだろう。
少なくとも、ジル・ロマン総監督のもと、ベジャール・バレエ団と東京バレエ団が踊り、そして、ズービン・メータが音楽を再生する「交響曲第9番」は、舞台裏のドキュメンタリーを見る限りにおいて、間違いなくそうだと思う。

マリヤ・ロマンが「聴覚障害の中でベートーヴェンが書き上げた『第九』は、舞踏と同化することによって新たな方法が開けるのではないか」と、指揮のズービン・メータに問うたのに対し、メータは「それは新しい考え方だ」と膝を打ったシーンが印象的だった。
そして、さすがに全舞台は収録されずとも、各楽章の踊りの断片を観て、ベジャールのこのバレエ作品が20世紀の傑作のひとつであることもよく理解できた。
残念ながら僕は、ジョルジュ・ドンが1991年に逝って以降、ベジャールへの興味を急速になくし、以来、彼らの舞台を観ていなかった。ましてや、2007年にモーリス・ベジャールが亡くなってからというものの、かのバレエ団はもはや別の団体だとすら思っていたくらいだから、2014年に封印を解かれ、久しぶりに演じられた「交響曲第9番」のステージに触れることはなかった。

ところが今年早々、ベジャール・バレエ団の来日公演で「魔笛」が再演されると知ったとき、血が騒いだ(笑)。これは見逃すことはできないと意を決し、即チケットを入手した。そして、ついに上野でそれを観たときの感動。本当に素晴らしい舞台だった。

dancing Beethoven ダンシング・ベートーヴェン
振付:モーリス・ベジャール
監督:アランチャ・アギーレ
音楽:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン「交響曲第9番ニ短調作品125」
出演:
マリヤ・ロマン
モーリス・ベジャール・バレエ団:エリザベット・ロス、ジュリアン・ファヴロー、カテリーナ・シャルキナ、那須野圭右、オスカー・シャコン、大貫真幹
東京バレエ団:上野水香、柄本弾、吉岡美佳
クリスティン・ルイス、藤村実穂子、福井敬、アレクサンダー・ヴィノグラードフ
栗友会合唱団
ジル・ロマン
ズービン・メータ
イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

ロードショー・プレミエ。
特に、第2楽章スケルツォの音楽や振付がアランチャ・アギーレ監督はお気に入りだったのだろうか、より多くクローズアップされていたように思われる。そして、第3楽章アダージョでの、愛に溢れる祈りの音楽に合わせて踊られるシーンの、何とも色香に満ちた安寧。
それにしても終楽章大団円でのステージ真上から撮影した、万華鏡の如く円形に人文字の絡むダンスの何という美しさ。

最初の動きでは、ロタール・フェフガンとパトリック・ベルダが、私の望んでいた苦痛感を表現してくれるだろう。スケルツォの踊りでは、真赤なタイツのデュスカ・シフニオスとパオロ・ボルトルツィが、舞踊の喜びを具現するだろう。彼らのために、妙技を発揮させるのだ。続くアダージョは愛の場面となる。タニア・バリとキューバのダンサー、ジョルジュ・ルフェーブルが、白いレオタードで荘重さと瞑想を表わすのだ。4番目の動きは太陽だ。黄色だ!ジェルミナル・カサドが音楽に送り出されて、前章のソリストたちを呼び寄せる。合唱隊が一斉に立ち上がりケープを脱ぎ捨てると、茶色のケープの下から黄色の衣裳が現われる。そうだ、これだ!早速稽古に入らなくては!
~同上書P292

初めから明確なヴィジョンをもって創造されたベジャールのバレエは完全だ。
そして、ジル・ロマン監督の下、再生されたバレエは、見事にベジャールの精神を引き継いでいるように思われた。

ちなみに、2014年の再演では、第2楽章のメインはキャサリーン・ティエルヘルムと大貫真幹が、そして第3楽章のメインをジュリアン・ファヴローとエリザベット・ロスが、さらに終楽章のメインはオスカー・シャコンが担当した。とても良いドキュメントだった。

 

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