グールドのヒンデミット金管とピアノのためのソナタ集(1975-76録音)を聴いて思ふ

能天気な雰囲気を醸しながら、内から滲み出る厭世観。
アドルフ・ヒトラー率いるナチスが破竹の勢いだった第二次大戦の初期、立て続けに生み出された金管楽器のためのソナタの破天荒な憂い。おそらくパウル・ヒンデミットは諦めていた。しかし、そんな中であくまで希望を持たんと自らに言い聞かせるために一連の作品が創造されたのだろうと思う。

それにしても、グレン・グールドのいかにも異質な、ズレのあるピアノ伴奏が、浮足立っており、面白い。

ヒンデミットの聴衆は、ノスタルジアに動かされた聴衆ではなかった。思想によって動かされていたとしても間接的にすぎなかった。むしろ、聴衆はごく現実的な期待をもってかれに対していたのだと思う。教条的な異端の多い音楽環境で、かれが一貫して(かれ自身が気に入っている語を一つ引用するなら)知的「平静」の環境を用意するだろうという期待をもって、聴衆はかれに向かっていたのではないだろうか。そしてかれは異常に生産的な作家生活を通じてそれをしようとした。
「ヒンデミット―終るのか、はじまるのか」
ティム・ペイジ編/野水瑞穂訳「グレン・グールド著作集1―バッハからブーレーズへ」P226

グールドの読みは正しい。確かにうるさいようでうるさくないのが、これら金管楽器を独奏にしたソナタたちなのである。

ヒンデミット:金管とピアノのためのソナタ集
・ホルンとピアノのためのソナタ(1939)(1975.7.3&5録音)
・テューバとピアノのためのソナタ(1955)(1975.9.3&4録音)
・トランペットとピアノのためのソナタ(1939)(1975.1.6録音)
・アルト・ホルンとピアノのためのソナタ(1943)(1975.9.3&4, 1976.2.9&10録音)
・トロンボーンとピアノのためのソナタ(1941)(1975.9.3&4, 1976.2.22&23録音)
グレン・グールド(ピアノ)
メイソン・ジョーンズ(ホルン)
エイブ・トルチンスキー(テューバ)
ギルバート・ジョンソン(トランペット)
メイソン・ジョーンズ(アルト・ホルン)
ヘンリー・チャールズ・スミス(トロンボーン)

フィラデルフィア管弦楽団メンバーの、いとも簡単に表現する類稀な力量に舌を巻く。
音楽は命であり、呼吸であるとあらためて確信する。
ふくよかでブレスの深い演奏は、グールドの、これまた繊細なパルスを持つピアノを得て、(アンバランスながら)実に美しくも剽軽な音楽と化すのである。

ことに、テューバ・ソナタ終楽章変奏曲の何ともいえぬ浮遊感が圧巻。

ヒンデミットの方法はかれの後期の作品に語法上の一貫性をもたせたが、基本的には現象論的なものである。「われ揺れ動く、ゆえにわれあり」というのがかれのモットーであってもおかしくないほどだ。
~同上書P227

パウル・ヒンデミットは孤独な(孤高の?)お祭り男だ。

 

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