ブーレーズ指揮クリーヴランド管のストラヴィンスキー「春の祭典」ほか(1991.3録音)を聴いて思ふ

今や古典となる名作の、100余年前の衝撃の追想。
「春の祭典」は実演で聴くに限る。しかし、どの録音で聴いても大抵揺さぶられるところが奇蹟的。世界がまったく古くならないのである。

初めてモーリス・ベジャールの「春の祭典」を観たのは30年近く前、NHKの映像だった。そして、初めて実際の舞踊に触れたのも同じ頃、東京文化会館でのベジャール・バレエ団によるものだった。聞きしに勝る激震と感動。今でもそのときのことは忘れない。

1963年6月18日、パリ。シャン-ゼリゼ劇場は《春の祭典》の初演50周年を祝った。フランス国立管弦楽団がブーレーズの指揮のもと舞台に配置され、彼はその夜暗譜で指揮することに名誉をかけた。大成功であった。
ヴェロニク・ピュシャラ著/神月朋子訳「ブーレーズ―ありのままの声で」(慶応義塾大学出版会)P85

さぞかし素晴らしい演奏だったのだろう。
一分の隙もないアンサンブルの目くるめく色彩とリズムの饗宴。聴衆は巻き込まれたはずだ。

1962年8月、パリ公演の前年、ブーレーズはザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を率いて《春の祭典》を指揮した。その年の夏、彼は20世紀バレエ団を同行したが、それはニジンスキーによるオリジナルのバレエではなく、バレエ団のディレクターであるモーリス・ベジャールの初演作のためであった。演奏の出だしから、指揮者は自分のテンポを押し通した。振付家は耳を疑った。「彼は茫然として、《春の祭典》の新しい息吹を発見した。ブーレーズから目を離さず、彼の腕を見つめ、その指が何をするのかを凝視したのだ。彼は水脈占い師のようにオーケストラの上に身をかがめていた。」
~同上書P86-87

何とあの妖艶で原始的な《春の祭典》が生のオーケストラの伴奏により再現されたのである。茫然となるベジャールの姿が微笑ましい。

年齢を重ねるごとに(ある意味)大人しくなるブーレーズのストラヴィンスキー。
しかし、鋼のような先鋭さは潜んだとしても、その分内なる熱狂を伴う円やかな音響が聴く者の心をとらえる。

ストラヴィンスキー:
・バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911年原典版)
・バレエ音楽「春の祭典」
ピエール・ブーレーズ指揮クリーヴランド管弦楽団(1991.3録音)

《春の祭典》以上に美しいのが《ペトルーシュカ》。
ほとんど映像的ともいえるにぎやかな第1場「謝肉祭の市場」の有機性、愉悦の「ロシアの踊り」。また、第2場「ペトルーシュカの部屋」でのいかにもクリーヴランドらしい強力ながら意味深い「ペトルーシュカの主題」に度肝を抜かれる。そして、第3場「ムーア人の部屋」途中に引用されるヨーゼフ・ランナーのワルツの物憂げな響きに思わず唸り、第4場「謝肉祭の市場~それからペトルーシュカの死」での軽快な音楽に拍手を送る。

それから、ザルツブルクで再会した。お互いの仕事のために来ていて、出会ったのだ。ブーレーズはオーケストラのリハーサルで来ており、私はダンサー全員と最後の仕上げにやって来た。当時のブーレーズは、まだストラヴィンスキーのレコードを出していなかった。それは、《祭典》の新しい息吹を発見したような驚きだった。何年も前から知っていると思っていたのに、確かに思いがけないものを見せつけられた時のように、われわれ全員が驚いてしまったと言ってもよい。私は、ブーレーズから目を離さなかった。その腕とその指の動きから、彼はまるで魔法使いのように、オーケストラにのめり込むのだ。
指揮を終えると、くるりとこちらへ向きを変え、「これが私のテンポです」と、言葉少なめに締めくくった。後は、われわれが何とかすべきなのだ!振付が洗い出され、ブーレーズによって音楽の本質に近づけられるのを見た時、自分の振付をこれまでよりもよく理解したと言わねばならない。
~前田允訳「モーリス・ベジャール自伝―他者の人生の中での一瞬・・・」(劇書房)P276-277

ヴェロニク・ビュシャラの報告通り、ベジャールは一目でブーレーズの音楽の虜になったようだ。

 

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