ボスコフスキー指揮ウィーン・モーツァルト合奏団のドイツ舞曲K.509(1964録音)ほかを聴いて思ふ

人間というもの、認められればやっぱり嬉しいもの。
天才と呼ばれるような人であっても、他人からの評価は大事だったみたい。

歌劇「フィガロの結婚」の1786年の上演は、初演を含め9回で打ち切られたという。
果たして9回という数字が大きいのか小さいのか、僕にはわからない(スマッシュ・ヒットといったところか)。しかし、その年末から翌年にかけてのプラハでの稀に見る大成功は、作曲家を飛び上がらんばかりに喜ばせた。

ぼくは踊りもせず、女に媚びもしなかった。踊らないのは、疲れすぎていたからだし、女に媚びないのは、生まれつき内気だからだ。しかし、その人たちがみんなぼくの「フィーガロ」の音楽を、コントルダンスやアルマンドばかりにして、心から楽しそうに跳ねまわっているのを見て、すっかり嬉しくなってしまった。じっさいここでは「フィーガロ」の話でもちきりで、弾くのも、吹くのも、歌や口笛も、「フィーガロ」ばっかり、「フィーガロ」の他はだれもオペラを観に行かず、明けても暮れても「フィーガロ」「フィーガロ」だ。たしかに、ぼくにとっては大いに名誉だ。
(1787年1月15日付、プラハのモーツァルトよりウィーンのゴットフリート・フォン・ジャカン宛)
柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)」(岩波文庫)P120-121

振り返ると、人気という意味ではこの頃が彼の全盛期だったことになる。
時代の何年も先を行く天才にあって、同時代の聴衆を歓喜させ、巷間に自分の創造した音楽が溢れたことは、どれほど勇気を与えられたことだろう。
他人に喜んでいただけることが何よりだ。

モーツァルトが1787年2月6日に作曲した「ドイツ舞曲K.509」には、当然その時の、溢れんばかりの喜びが爆発する。「フィガロの結婚」の音楽を髣髴とさせる音調。美しさと愉しさの同居。

モーツァルト:
・6つのドイツ舞曲K.509(1964録音)
・6つのドイツ舞曲K.536(1966録音)
・6つのドイツ舞曲K.567(1964録音)
・6つのドイツ舞曲K.571(1965録音)
・12のドイツ舞曲K.586(1964録音)
ヴィリー・ボスコフスキー指揮ウィーン・モーツァルト合奏団

ボスコフスキー節全開の、軽快かつ明朗な音楽は、それこそ踊りを誘発する。
たった1時間で書き上げたと言われるK.509の、「いい加減さ」皆無の完璧さ。

各ドイツ舞曲にはトリオ、もしくはアルテルナティーヴォ(交替曲)ともいうべきものがついている。そのアルテルナティーヴォ(交替曲)のあとで主部が繰りかえされ、そのあとで再びアルテルナティーヴォ(交替曲)になり、それから次の曲に移って行く。
UCCD-4001/7石井宏ライナーノーツP52

総譜の最後に作曲家自身のそんな注意書きがあるくらいだから、モーツァルトは完璧な演奏を求めていたのだ。ならば、間違いなくここには生命が宿る。

ちなみに、この後、まもなく訪れる父の病気と死について、当然彼は知る由もなかった。能天気なモーツァルトの、(ある意味)最後の輝きなのかもしれない。

・・・たった今、私をひどく打ちのめすような知らせを聞きました。最近のお手紙から、ありがたいことに大層お元気だと推察できたばかりなのに、お父さんが本当に病気だと聞いたので、なおさらがっかりしました。安心のできるようなお知らせをお父さん自身からいただくのを、どんなに待ちこがれているか、申すまでもないことです。きっとそんなお便りが、いただけますね。
(1787年4月4日付、ウィーンのモーツァルトよりザルツブルクの父レオポルト宛)
~同上書P124

人生の絶頂とどん底を短期間に経験せざるを得なかったモーツァルトが、たった35歳で天に召されなければならなかったこと当然といえば当然か。ドイツ舞曲が楽しい。

 

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