アルバン・ベルク四重奏団のシューベルト「死と乙女」(1984.6録音)ほかを聴いて思ふ

昔、吉田秀和さんがブルックナーの交響曲第7番を初めて聴いたとき(何とクナッパーツブッシュの指揮)、最初の数分でついうとうとと居眠りをしてしまい、ハタと目覚めたときはまだ第2楽章の途中だったと書いておられたことを思い出した。

ほろ酔いで気持良く転寝をした。
はたと我に返ったとき、音楽はまだ第2楽章アンダンテ・コン・モートの哀しい第3変奏に差し掛かるところだった。

長い、いつ果てるとも知らぬ音楽に、かつて僕は辟易した時期があった。
たぶん、若かったのだと思う。
31歳で生を終えたシューベルトの音楽にあるのは、信じられないような老練とほとんどストーカー紛いの(?)執拗さ。

僕はやっぱり歳をとったのだと思う。
フランツ・シューベルトの、呼吸の深い、延々と展開される音楽は、今や宝物だ。

3月25日。苦しみは理性を研ぎすまし、心を強くする。しかし喜びは、理性などに構いはしない。また心を女々しくし、つまらないものにしてしまう。
(シューベルトの1824年のメモ)
前田昭雄著「カラー版作曲家の生涯 シューベルト」(新潮文庫)P114

アルバン・ベルク四重奏団の「死と乙女」を聴いた。
第1楽章アレグロ冒頭の、激烈な主題提示に思わずのけ反った。ここのシーンからシューベルトの方法は、聴く者の魂を一突きする。そして、第2楽章の仄暗い主題の濃密さに思わず涙する。あるいは、第6変奏の慟哭のうねりに震えが止まらない。6つの変奏はいずれも美しく可憐だ。

シューベルト:
・弦楽四重奏曲第14番ニ短調D810「死と乙女」(1984.6録音)
・弦楽四重奏曲第13番イ短調D804「ロザムンデ」(1984.12録音)
アルバン・ベルク四重奏団
ギュンター・ピヒラー(第1ヴァイオリン)
ゲルハルト・シュルツ(第2ヴァイオリン)
トマス・カクシュカ(ヴィオラ)
ヴァレンティン・エルベン(チェロ)

短い第3楽章スケルツォの躍動とトリオの安寧にほっと一息。
自身の才能を自負するような終楽章プレストの、前のめりには希望があるように僕は思う。
1979年の時から、彼らはすでに完成されていたようだ。アルバン・ベルク四重奏団の鉄壁のアンサンブルに舌を巻く。

3月27日。他人の苦しみを理解し、他人の喜びを理解するものなど誰もいない。人は互に求め合うと信じながら、じつは互にすれちがっているのだ。おお、このことを思い知ったものには、悩みがある。ぼくが生み出す作品は、音楽への能力と、ぼくの苦しみとから生まれてくる。それも苦しみから生まれた作品の方は、一向に世の中を喜ばせないようだ。
~同上書P114

こういう厭世観がシューベルトの創造の種なのだと思う。
続いて、「ロザムンデ」を聴いた。
第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポの充実感。喜びの弾ける様に心動く。

3月29日。おお想像力よ!人類最高の魔法の杖、芸術家も学者もそこから汲む、つきざる泉よ!おお願わくばわれらと共にあり給え、たとえおんみを認め、尊ぶものの数がわずかであっても。そしてわれらを守り給え、あの血も肉もない、みにくい骸骨なる、かの啓蒙主義からわれらを守り給え!
~同上書P114-115

第2楽章アンダンテの、有名な「ロザムンデ」の主題は、それこそシューベルトの想像力と創造力の賜物だろう。こんなにも美しく、また懐かしい旋律は他にない。第3楽章メヌエットにある険しさと優しさ、同時に終楽章アレグロ・モデラートにあるたおやかさは、アルバン・ベルク四重奏団に内在する音楽性の歴然とした表出だろう。稀代の四重奏団の奏でるシューベルトは実に絶品。

 

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