クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管のワーグナー「パルジファル」(1963Live)を聴いて思ふ

滔々と流れる大河の如し。
水面に乱れなく、しかし、強力なエネルギーを保ち、水はただひたすら上流から下流に向って流れゆく。終わりは一体どこで、そしてそれは一体何なのか?

水の都、ヴェネツィア。また、リヒャルト・ワーグナー終焉の地、ヴェネツィア。

時こそが神なのではないかという考えに、ぼくは常に執着していた。少なくとも神の霊とは、そのようなものではないだろうか。もしかしたらこの考えは、ぼく自身が考え出したものだったかもしれないのだ。しかし今はよく覚えていない。それはともかく、もしも神の霊が水面を動いたとしたら、水はそれを映しだしたはずだ、とぼくはいつも思っていた。そのためかぼくは水に対して、ある特別の感情を持っている。水の作り出す襞、しわ、さざなみに対して―そして、これは北国生まれのせいか―灰色に対して。ぼくはただ、水は時のイメージだと思っている。
ヨシフ・ブロツキー著/金関寿夫訳「ヴェネツィア―水の迷宮の夢」(集英社)P46-47

水が時のイメージであり、時こそが神ならば、果たして水は神様だということだ。わからないでもない。
ハンス・クナッパーツブッシュの、1963年のバイロイト音楽祭での「パルジファル」は、他のどの年の「パルジファル」に勝るとも劣らない、水の如くの、否、神の如くの記録。

厳粛な成果。クナッパーツブッシュの「パルジファル」の最高峰。
翌1964年、最後のバイロイトのそれは、確かに少々生気に欠ける。人間はたぶん、自分の寿命は無意識にわかっているのだろう。もはや肉体的にも精神的にも衰えを隠せない指揮者の棒は、どこか集中力が分散し、遅々として前進しない弛みがある。
恐るべきは、1963年のバイロイト。錚々たる顔ぶれの歌手陣が箔をつけるべくクナッパーツブッシュを援護する。もちろんクナ自身も信じられないほどの内なるパワーを音楽に捧げ、悠揚たるパフォーマンスを繰り広げる。

第1幕前奏曲から、完全な静けさの中から湧き出る音塊が、悠久の時間をまとって眼前に現れる様から特別。確かに「パルジファル」は一種の宗教劇であり、儀式だ。ひとたび音楽が始まれば、終幕の合唱「至高の救いがもたらす奇蹟!」まで、遅いテンポながら緊張感が絶えない。聴衆のピクリともしない静寂は、崇高なこの音楽に花を添える。

・ワーグナー:舞台神聖祭典劇「パルジファル」
ジョージ・ロンドン(アンフォルタス、バリトン)
クルト・ベーメ(ティトゥレル、バス)
ハンス・ホッター(グルネマンツ、バス)
ヴォルフガング・ヴィントガッセン(パルジファル、テノール)
グスタフ・ナイトリンガー(クリングゾール、バリトン)
アイリーン・ダリス(クンドリ、ソプラノ)
ヘルマン・ヴィンクラー(第1の聖杯騎士、テノール)
ゲルト・ニーンシュテット(第2の聖杯騎士、バス)
ルート・ヘッセ(第1の小姓、メゾソプラノ)
マルガレーテ・ベンス(第2の小姓、コントラルト)
ゲオルク・パスクーダ(第3の小姓、テノール)
エルヴィン・ヴォールファルト(第4の小姓、テノール)
アニア・シリア(花の乙女たち、ソプラノ)
シルヴィア・スタールマン(花の乙女たち、ソプラノ)
ジークリンデ・ワーグナー(花の乙女たち、アルト)
ドロテア・ジーベルト(花の乙女たち、アルト)
リタ・バルトス(花の乙女たち、アルト)
ソナ・ツェルヴェナ(花の乙女たち、アルト)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団(1963Live)

第1幕場面転換の音楽からハンス・ホッター扮するグルネマンツとヴォルフガング・ヴィントガッセン扮するパルジファルの対話の底知れぬ感動。クナッパーツブッシュらしい深い呼吸と、壮絶な打楽器、金管の雄叫びがものを言う。

パルジファル 歩きだしたばかりなのにずいぶん遠くまで来たようだ。
グルネマンツ そうだとも、お若いの、ここでは時間が空間となるのだ。
日本ワーグナー協会監修/三宅幸夫・池上純一編訳「パルジファル」(白水社)P33

グルネマンツの言葉は、聖杯へ至る道が「5次元」であることを示す。
ワーグナーはほとんど憑依状態で作曲したのだろうか、そしてクナッパーツブッシュは無心にただひたすら音楽に奉仕する。

聖杯へと歩んでいく2人の人物は、私たちには重なり合って見えるためはっきりとせず、グルネマンツが空間と時間について説明した後では視界から完全に見えなくなってしまいました。ヴィーラント・ヴァーグナーによって作り上げられたこの純粋に精神的な歩みの中では、文字通りの場面転換は必要でありませんでした。実に彫りの深い表情を持つ場面転換の音楽は、クナッパーツブッシュによってこの世の尺度ではもはや全然測り得ないように示されましたが、それはまさに天才的な指揮者だけがなし得ることであり、この中へ聴き手はすっぽりと飲み込まれてしまったのです。
フランツ・ブラウン著/野口剛夫編訳「クナッパーツブッシュの想い出」(芸術現代社)P57

筆舌に尽くし難い静謐な「パルジファル」。

 

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