トスカニーニ指揮フィルハーモニア管のブラームス第1番ほか(1952.9.29Live)を聴いて思ふ

人間は恐怖さえなければ、天地自然の諸霊を支配できるということは、いかに愚昧な者にとっても自明のことでなくてはならん。気まぐれな精神には、断じて大気の精を駆使することはできんし、移り気な性情が、どうして水の精を使いこなすことができよう。
サマセット・モーム/田中西二郎訳「魔術師」(ちくま文庫)P53

しかし、もしその道士が霊活、自在、剛強であるならば、彼は全世界を頤使するであろう。嵐のなかを歩いても、一滴の雨も頭上には落ちず、風も衣服の襞ひとつ、ひるがえすことなく、火に入るとも焼けぬであろう。
~同上書P53

しかし魔術とは、意識的に目にみえぬ手段を用いて、目にみえる結果を生みだす術にほかなりません。意志、愛、想像力等は、万人がもっている魔術的な力ではありませんか。それらの力を最高度に発揮する方法を知る者が、すなわち魔術師です。魔術にはただ一つの理論しかありません―すなわちそれは、可見のものは不可見のものの尺度である、ということです。
~同上書P55

魔術師オリヴァー・ハドゥーの言葉には非常な説得力がある。
僕はトスカニーニの音楽を思った。

僕は長い間アルトゥーロ・トスカニーニを誤解していた。
音楽を聴き始めて、何十年もしてからようやく彼の真価がわかったように思う。トスカニーニこそは実演に触れねば絶対にわかり得ない指揮者の筆頭だろう。NBC交響楽団との、あの色気のない乾いた音の録音だけに頼っていると評価を誤ってしまう。
戦後たった1度訪れたイギリスはロイヤル・フェスティバル・ホールでのフィルハーモニア管弦楽団との何物にも代え難い記録。それこそ好き嫌いを超え、恐るべき熱狂を孕む迫真のブラームスがそこにはあった。とても85歳とは思えぬ圧倒的エネルギーの放出。

そして、トスカニーニはイギリスに渡った。ロイヤル・フェスティバル・ホールでフィルハーモニア管弦楽団とブラームスの交響曲全曲を演奏するためである。13年ぶりのロンドンでの演奏会は、ロンドンの聴衆との「お別れ公演」となった。9月29日には、英国国家、ブラームスの《悲劇的序曲》、交響曲第1番、第2番が、10月1日には、英国国家、ブラームスの《ハイドンの主題による変奏曲》、交響曲第3番、第4番が、演奏された。最高席が5ポンドのチケットはあっという間に完売し、当日売りの300枚の立ち見のチケットを求めて、公演の2日前から行列ができた。トスカニーニは、一公演につき1800ポンドの出演料をもらったという。それは指揮者に支払われた英国史上最高額であった。終演後、チャーリー・チャップリンやローレンス・オリヴィエが楽屋を訪ね、トスカニーニは彼らと食事をともにした。
山田治生著「トスカニーニ―大指揮者の生涯とその時代」(アルファベータ)P268

今ではチケットを求めての長蛇の列という光景はほとんど見なくなったが、2日前から立見席を求めて並んだ好事家がたくさんいたとは!それにしてもこの時の実演を聴くことのできた聴衆は本当に幸せだ。

・英国国家
ブラームス:
・「悲劇的序曲」作品81
・交響曲第1番ハ短調作品68
・交響曲第2番ニ長調作品73
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団(1952.9.29Live)

たぶんフィルハーモニアの面々はトスカニーニとの協働が最後になるだろうことを知っていた、そんな一期一会の音楽。
英国国家からすでに雄渾。
「悲劇的序曲」は、異常な集中力と指揮者のパッションが乗り移りながら、いかにもトスカニーニらしい客観性に富んだ音楽。速めのテンポで颯爽と繰り広げられるハ短調交響曲も、第1楽章序奏ウン・ポーコ・ソステヌートから驚異的なうねりとパワーを発現する。また、哀愁漂う第2楽章アンダンテ・ソステヌートにも信じられないほどの力が。そして、粘りながらも一気に駆け抜け、聴く者を翻弄する終楽章に震撼するのである。ちなみに、主部に入る直前のホルンの主題はおそらくデニス・ブレインが吹いているのだろうが、その力強さたるや(時折音がひっくり返るけれど)。これぞ指揮者とオーケストラの交歓!!

ニ長調交響曲では、トスカニーニの別の側面、すなわち温かく解放的なカンタービレが横溢する。例えば、第1楽章アレグロ・ノン・トロッポ冒頭、デニス・ブレインによるホルンの優しくも力強い歌。多少のアンサンブルの乱れをものともせず、打楽器は終始轟き、弦楽器は泣く。何て美しいのだろう。また何て意味深いのだろう。第2楽章アダージョ・ノン・トロッポは、暗い悲しみを纏ったトスカニーニの英国への別離の歌のよう。さらに、弾ける第3楽章アレグレット・グラツィオーソを経て、終楽章アレグロ・コン・スピーリトでの泣く子も黙る大爆発。
明らかなフライング拍手も何のその。これほどの超絶名演奏を前にしての会場の聴衆の気持ちもわかるというもの。

トスカニーニが身体的な衰えを感じつつも、引退に踏み切れないでいた理由は、二つあった。一つは、彼にとって、仕事(音楽)をしない人生が考えられないということ。もう一つは、自分がNBC響を辞めると、NBC響自体が解散させられてしまうであろうこと。トスカニーニは楽員に対する責任感を持ち続けていた。
~同上書P269

愛と自立が一つであり、そこには必ず自責がついてまわることを確認する。
ちなみに、この日のオーケストラ第2ヴァイオリンの後方にはネヴィル・マリナーが座っていた。

 

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