シューリヒト指揮バイエルン放送響のワーグナー管弦楽曲集(1961.9録音)を聴いて思ふ

幼少からの体験や、生まれ育った環境がその人に与える影響は大きい。
創造行為は、天賦の才によるが、後天的な刷り込みや学習にも随分左右されるのだと思う。

祖父を中心に、会社の従業員たちも、みんな大きな家族のように暮らしていました、ひとつ屋根の下で、オルガンのパイプを作ったり、木を削っているうちに一日が暮れるような毎日でした。夏の日曜日には三台の馬車を借りて、田舎へ遊びに出かけ、みんなで食事をした後にメンデルスゾーン、バッハ、ヘンデルの曲を声を揃えて歌っていたことを思い出します。
ミシェル・シェヴィ著/扇田慎平・塚本由理子・佐藤正樹訳「大指揮者カール・シューリヒト―生涯と芸術」(アルファベータ)P31

背景を知ることは、そのものを理解する上で必須条件。
歴史は人によって作られる。歴史を学び、人を知ることの大切さを思う。屈託のない音調。
実に客観的な外面を呈するが、内側にある情熱はほかの誰よりもおそらく濃密だ。

1888年のこと。当時彼は8歳だった。

はっきりと覚えていますが、そのとき演奏されたのはワーグナーの「ローエングリン」でした。私は完全に音楽という魔法の世界の虜になってしまいました。
~同上書P32

「ローエングリン」の衝撃。この人もバイエルン王ルートヴィヒや第三帝国総統アドルフ・ヒトラー同様、入口はワーグナーだったようだ。

ドイツ人とはこういうものだ。不器用で馬鹿正直。だが、その愚直さは熱く燃え上がり、思想を宿す力を秘めている。ベートーヴェンが出現したのも同じ土壌からだ。ここでは創造精神の量がその質を決定づける。質にはさほど決定的な違いはないからね。
1871年11月1日水曜日
三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記3」(東海大学出版会)P2

ドイツ至上主義であれ、ワーグナーの言葉にはいちいち説得力がある。
「創造精神の量」が重要なのだ。

カール・シューリヒトのワーグナーを聴く。

ワーグナー:
・歌劇「リエンツィ」序曲
・ジークフリート牧歌
・歌劇「ローエングリン」第1幕前奏曲
・楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
―第3幕前奏曲
―徒弟たちの踊り
―第1幕前奏曲
カール・シューリヒト指揮バイエルン放送交響楽団(1961.9録音)

速めのテンポで音楽は滔々と流れる。幼年時代、心を奪われた「ローエングリン」の前奏曲は何の変哲もない姿でありながら熱量は並大抵でなく、秘めた崇高な精神が聴く者の心を焼き焦がす。「ジークフリート牧歌」も同様。しかし、僕がより感銘を受けるのは「マイスタージンガー」からの諸曲だ。見事に連結された3つのシーンは、ワーグナーの雄渾な側面を髣髴とさせる。特に、第1幕前奏曲のアポロン的表現はいかにもシューリヒトの真骨頂。

彼が父親を失ったのは、まだ母親の胎内にいた時であった。
ミシェル・シェヴィ著/扇田慎平・塚本由理子・佐藤正樹訳「大指揮者カール・シューリヒト―生涯と芸術」(アルファベータ)P367

カール・シューリヒトは、とても愛されて育った人なのだと思う。

 

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