グールドのシベリウス ピアノ作品集(1976&77録音)ほかを聴いて思ふ

極小のジャン・シベリウス。
グレン・グールドが唯一残した、シベリウスの「ソナチネ」を中心に構成されたアルバムの、初春を思わせる暖かさ、美しさ。立体的な音の造りがイマジネーションを喚起、一層飛翔させる要因になっているのだと思うが、レコーディングにあたりグールドは、複数のマイクをピアノから様々な異なる距離に配置、録音し、それをミキシングの段階でうまく組み合わせたという。グールドの天才の一つは、空間を的確にとらえることのできることだと思う。

ピアノは歌えないし、表現に不十分な楽器である。
ピアノ曲の多くは経済的理由で創作したに過ぎない。
神部智著「作曲家◎人と作品シリーズ シベリウス」(音楽之友社)P241

シベリウスはピアノについては懐疑的だったのだろうか。しかし彼が、夥しい数のピアノ作品を残していることを考えると、上記の言葉は謙遜であり、あくまで遠慮から出たものだということが容易に想像できる。なぜなら作曲家は、次のような言葉も残しているのだから。

シューマンの作品と同様、将来それらのピアノ曲は必ず愛され、ポピュラーなものとなるでしょう。
~同上書P241

シベリウスはマーラーと同じく、いずれ未来に自分の時代が来ることはわかっていた。どちらかというとマイナーな作品に当時のグレン・グールドは持ち前の実験精神を発揮し、見事に立体的な音楽作品として僕たちの前に提示した。本当に素晴らしい録音だ。

シベリウス:
・ソナチネ嬰ヘ短調作品67-1(1912)(1976.12.18&19録音)
・ソナチネホ長調作品67-2(1912)(1977.3.28&29録音)
・ソナチネ変ロ短調作品67-3(1912)(1976.12.18&19録音)
・3つの抒情的ピアノ小品「キュリッキ」作品41(1904)(1977.3.28&29録音)
グレン・グールド(ピアノ)

小さなソナタの小宇宙こそ、後の単一楽章の交響曲へとつながる布石であり、伏線であったように思われる。ヘ短調ソナチネ第1楽章アレグロは、宙から引っ張り出されたような音を鳴らし、それに第2楽章ラルゴが哀感込めて静かに応える(ブラームスのインテルメッツォと相似形!)。そして、終楽章アレグロ・モデラートでは、煌く高音部を伴奏にして何とも愉悦の旋律が紡がれる。
素晴らしいのは、グールドらしいストーリー・テリングで進められる「キュリッキ」。特に第2曲アンダンティーノの、暗いエレジーの後爆発する中間部の飛翔の見事さ。第3曲コーモドの美しき舞踏に見る憧憬。

ところで、(一筋縄ではいかない?)シベリウス作品の最高峰は交響曲第7番だろう。
この、外見上は凝縮された作品の、内側に拡張してゆく精神の崇高さ。不要なもの一切が取り除かれ、もはや一音たりとも落とせない創造物。自然に抗うことなく、そして、宇宙の法に則り拡大と縮小を見事に表現する神秘の交響曲。
誰のどんな演奏に触れても、襟を正したくなるほどの緊張感は唯一無二でなかろうか。

シベリウス:
・交響曲第3番ハ長調作品52(1904-07)(2003.10.1&2Live)
・交響曲第7番ハ長調作品105(1924)(2003.9.24&25Live)
・交響詩「大洋の女神」作品73(1913-14)(2008.6.29&7.2Live)
サー・コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団

北欧の暗い空を想像させる音の絵画。
ほとんど葬送と思わせるじっくりゆっくりという音楽の重みは、サー・ジョンとも、パーヴォとも違うもので、これぞサー・コリン。いつぞやバービカン・センターで見た雄姿を思い出す。

 

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