レーン&フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン協奏曲(1944.1Live)を聴いて思ふ

初めてフルトヴェングラーの肉声を聞いたとき、あまりにイメージが違っていてとても驚いた。あの、伸縮激しい、フレーズのうねる、熱を帯びた音楽と相反して、何と落ち着いてふくよかな声であったことか、しかし、一方で何と幸せな調子を運んでくれる優しい声であったことか。

残された音源(フルトヴェングラーの講演を静かに聴く学生たちが時折沸くシーンが聞こえる)によると、1950年のベルリン音楽大学での学生との対話は次のように始まる。

いちばん大切なことは、目の前に作品があるという事実です。そしてそれに身を委ねることです。作品をあるがままに演奏すれば、それは聴衆にも伝わります。聴衆にこちらから合わせることはありません。まず第一に聴衆はさまざまですし、また・・・何といいましょうか、受けとめ方も、感じ方も同じではありません。聴衆はまったく十人十色なのです。
(喜多尾道冬訳/城所孝吉協力)

聴衆に迎合するのでなく、あくまで音楽に忠実にあれということだろう。
それは何も音楽に限ったことではない。「あるがまま」に流れに身を委ねることが生きる極意だと今まさに僕は思う。
そして彼は、こうも訴えかけるのだ。

音楽はいつの時代も変わりないというのがわたしの考えです。音楽はいつも人間の生命感情を表現してきました。そしてその背後にいつも人間がいたのです。この人間とは、今も昔もふたつの耳、ふたつの眼、ひとつの口をもった存在に変わりはないのです。

人間の機能そのものは確かに昔も今も違わない。しかし、その質は、感じる心、考える頭脳は随分変わったのではないだろうか。
昔は良かったなどと言うつもりはない。
ただ、どんな表現にも生命感情が反映されることは忘れてはいけないと僕は思うのだ。

・ヴィルヘルム・フルトヴェングラー音楽を語る1950-1954(非売品)
―ベルリン音楽大学学生との対談(1950、1951年)とラジオ講演(1954年)から
構成:カルラ・ヘッカー

そしてまた、フルトヴェングラーは、1951年の対談では次のように語る。

大切なことは、それぞれ演奏する音楽のなかに、どの程度の熱が含有されているか、その割合を正確に把握することにあると思います。冷たさによって効果を発揮する楽節、あるいは熱くも冷たくもないことで生きてくる楽節もあります。

楽譜から音楽の温度を読みとる力こそが大切であり、そのことはフルトヴェングラーの、特に実況録音を聴けば目の当たりにできる。

伴奏の指揮のうまくない指揮者は、交響曲のような作品の伴奏にもけっしてすぐれているとはいえません。伴奏の指揮をうまくやれない指揮者は、指揮者でもなんでもありません。ただの半人前というほかはありません。上手に伴奏をつけることが指揮者の前提条件といってよいでしょう。

音楽が協働作業であり、協調こそが最重要ポイントであることがよくわかる。
その意味では、フルトヴェングラーは主観よりも客観の立った音楽家だったということだ。彼の音楽が永遠であるのはそれゆえだろう。

フルトヴェングラーが最強の伴奏を聴かせた、戦時中の記録。

・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
エーリヒ・レーン(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1944.1.12Live)

鬼神が乗り移る激しいティンパニに背筋が凍る。
戦局後退しつつある不穏な時期に、旧ベルリン・フィルハーモニーの聴衆は、息を凝らし、フルトヴェングラーのベートーヴェンに何を思ったのか?

私はナチスのイデオロギーに抵抗してドイツの優れた知的生活を守った。私は党に直接抵抗したわけではない。なぜならばそれは私の任ではない、と自分に言いきかせたからだ。もし私が積極的に抵抗したら、誰のプラスにもならなかったろう。しかし絶対に自分の意見を隠さなかった。芸術家として、少なくとも私の音楽だけは無傷のままにしておくべきだと決意した。もし自分が政治の場で積極的な役割を担えば、ドイツに残ることはできなかったであろう。偉大なドイツの傑作を一回でも公演すれば、それがブーヘンヴァルトやアウシュヴィッツの亡霊を、言葉よりも一層強力に、徹底的に否定し去るものだということが私には分かっていた。
サム・H・白川著/藤岡啓介・加藤功泰・斎藤静代訳「フルトヴェングラー悪魔の楽匠・下」(アルファベータ)P53

当時のフルトヴェングラーの内なる決意は固かった。
そのことが具に反映され、熱波の如くうなる音塊に、古い録音を超え、感動を覚えない人はいないだろう。ちなみに、指揮者に触発され、レーンの独奏ヴァイオリンの厳しくも切ない音色は、祖国ドイツへの愛情と失望が重なる複雑なもので、聴いていて苦しくなるほど(カデンツァはフリッツ・クライスラー作のもの)。第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポの生命力が素晴らしい。

※太字対談でのフルトヴェングラーの言葉はDCI 1030(非売品)ライナーノーツより引用。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む