カメラータ・ケルンのテレマン 木管楽器のための協奏曲集(1990録音)を聴いて思ふ

何にせよ借りたものは返さねばならぬ。
人間にとっておそらく命の貸し借りが最大の課題なのだろうと思う。

興味深いのは、生あるうちの名声と死した後の名声の格差。
例えば、バッハ。彼はしばらくの間ヨーロッパ世界で忘れられていた存在だ。メンデルスゾーンが「マタイ受難曲」の蘇演を試みたことで、一躍その名が復活、轟き、以降は古今東西音楽界で無視することのできない存在となった天才だが、極めてローカルな音楽家で、生前は今ほどの賞賛を獲得していなかった。
ある時、時代がバッハに追いついたのである。

同時代に活躍したヘンデルも、バッハとはまた別の才能をもつ天才だった。
しかしながら、(名声という意味では今や人後に落ちる音楽家だが)彼らと比較して、その時代一世を風靡したのがゲオルク・フィリップ・テレマン。
「食卓の音楽」をはじめとして、彼の生み出す音楽はあまりに自然で美しい。

テレマン:木管楽器のための協奏曲集
・リコーダーとフルート、弦楽と通奏低音のための協奏曲ホ短調
・ヴァイオリン、オーボエ、弦楽と通奏低音のための協奏曲ハ短調
・2つのリコーダー、弦楽と通奏低音のための協奏曲イ短調
・フルート、弦楽と通奏低音のための協奏曲ロ短調
・2つのオーボエ・ダモーレ、チェロ、弦楽と通奏低音のための協奏曲ニ長調
・オーボエ、ヴァイオリン、2つのフルート、2つのヴィオラと通奏低音のための協奏曲変ロ長調
カメラータ・ケルン
ミヒャエル・シュナイダー(ブロックフレーテ)
カール・カイザー(フラウト・トラヴェルソ)
ハンス=ペーター・ヴェスターマン(オーボエ)
マリー・ウティガー(ヴァイオリン)
ハヨー・ベース(ヴァイオリン)
ライナー・ツィッペリング(ヴィオラ・ダ・ガンバ)(1990録音)

弾ける愉悦。
2つのオーボエ・ダモーレ、チェロ、弦楽と通奏低音のための協奏曲ニ長調、第1楽章の旋律が耳について離れない。テレマンは、おそらく大衆の心をつかむのに長けていたのだろう、その意味では、音楽は軽快で刹那的だ。第2楽章の柔和な音調の癒し。そして、第3楽章の快活でありながらどこか悲哀ある音楽に、親しみを覚える。
なるほど、神の調性なのである。
バランスのとれた深みのある音楽に感謝。
テレマンとバッハの名声は、生前と後世とでは逆転した。
現世は前世の因縁の内側にあり、来世はまた現世の継続の中にある。今をどう生きるかが未来を決定する。
それにしてもあの時代、テレマンの名声はすごかった。

今は亡きバッハよ!そなたの見事なオルガン演奏は、ひとりそなたに“偉大”という気高き呼称をもたらせり。そしてまた、そなたが筆にしたもの、最高の芸術表現を喜ぶ者あり、はたまた羨望の念もて眺める者ありき。

テレマンの、バッハ追悼の言葉が神々しい。

 

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