ケンペ指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン「英雄」(1959.9.3録音)ほかを聴いて思ふ

ベートーヴェンの「英雄」をもはや好んで聴くことはなくなった。
残念ながら実演でもよほどでない限り魅力的な演奏にはなかなか出逢えない。
しかしながら、バレンボイム指揮ウェスト=イースタン・ディヴァンの全集を聴き、バレンボイムのサイードとの対談を読み進めるうち、いま一度じっくりと楽聖のこの「革命的」交響曲に触れてみようかという想いが強くなった。
例えば、次の箇所。

彼(ワーグナー)自身の音楽についての解釈の発達は―純粋に直感と感覚によるもので、証明はできないけれど―時代の精神に結びついたところが大きいと思う。時代精神や人々を夢中にさせていた音楽以外の思想に。1920年代から第二次世界大戦後にかけての公演の多くで気がつくのは、ナチの記念碑志向と共通するところが多いことだ。これは建築においても、他の芸術領域でも同じように明白なものだ。色彩やバランスにおいて、なにか仰々しくてやかましく武骨なもの、あまり洗練されておらず、繊細さに欠けるものがある。
アラ・グゼリミアン編/中野真紀子訳「バレンボイム/サイード『音楽と社会』」(みすず書房)P111-112

バレンボイムの見解は、実に的を射ているように思われる。
芸術が時代により過ぎて、その本質を見失ってしまったのではないかと。
そこに一矢報いたのがフルトヴェングラーであり、また、ルドルフ・ケンペやピエール・ブーレーズのような人だったのだろうとバレンボイムは言うのである。

実際、作品のダイナミクスへの厳密な忠誠やバランスというものにはじめて意識的に没頭したのは、ルドルフ・ケンペのような人々だと思う。ケンペはドイツの指揮者で、僕の意見ではとても過小評価されており、音やバランスについて素晴らしい感覚をもっていた。それから、もちろんピエール・ブーレーズ。彼がフランスの大演出家パトリス・シェローといっしょに1976年、今では有名になった「ニーベルングの指環」四部作をバイロイトで上演したときのことだ。これによって、音楽的な側面から神話性がとり除かれたのだと思う―思想の世界について話しているわけではないよ。そして、他のすべての音楽と同じように、フルトヴェングラーのワーグナー解釈は、別格のものであるばかりか(これは好みの問題だ)、方向性においても他に類をみないものだった。
~同上書P112

ここでの主題はあくまでリヒャルト・ワーグナーの芸術なのだが、当然それはベートーヴェンの芸術にも通ずるもの。若き日に聴いた楽聖の交響曲第9番に触発され、彼はベートーヴェンの精神を引き継ぐことを命題とし、創造行為を繰り返した。

《第九交響曲》の手書きの楽譜が届く。はてしない喜び。ショットがとてもよい状態で保管しておいてくれた手稿は、優に40年以上も昔のもの。それが今、わたしの手もとにある。リヒャルトは冗談めかして、「これできみは、わが人生のすべてを身辺に集めてくれたことになる。きみがいなければ、わたしは自分の人生について何も知らなかっただろう」と言った。
1872年1月15日月曜日
三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記3」(東海大学出版会)P92

コジマの、そしてリヒャルトの心底の喜びが伝わってくる。
ルドルフ・ケンペの「英雄」を聴いた。

・ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(1959.9.3録音)
・シューマン:「マンフレッド」序曲作品115(1956.11.26録音)
ルドルフ・ケンペ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

何と生き生きと鮮明で、何とフレーズの移り変わりの自然な音楽であることか。
堂々たるテンポで、聴く者の心をつかみ、グイグイと引っ張るエネルギーをもつ第1楽章アレグロ・コン・ブリオ。深沈とした雰囲気で始まり、トリオでは明朗かつ崇高な解放を見せる第2楽章葬送行進曲、そして、トリオのホルンが芳醇な響きの第3楽章スケルツォを経て、その勢いは弛緩なく、終楽章コーダのプレストまで見事に持続する。実に「開かれた」交響曲第3番!名演だ。

ちなみに、「マンフレッド」序曲は、シューマンの狂気は後退するものの、全体観が明確で客観的な美しい演奏。

 

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