ペーター・ホフマンのワーグナー アリア集(1983録音)を聴いて思ふ

こんなにも聴いて気持ちの良い「歌」が他にあろうか。

ペーター・ホフマンが懐かしい。
彼は「魅せる」ことが好きな人だったのだと思う。
ジャンルの垣根を超え活躍したことは、一部の評論家の槍玉に挙げられたが、誰もができる技でなし、むしろそのチャレンジを肯定的に捉えたいと常々僕は思っていた。
ちなみに、この、不世出のヘルデン・テノールは若くしてパーキンソン病を患い、数年前に亡くなった。とても残念なことだが、数多の名唱を残してくれたことがせめてもの救い。
バーンスタイン晩年の「トリスタンとイゾルデ」でのトリスタン役など、やっぱりワーグナーが素晴らしい。

何より声の芯のある瑞々しさ。
水も滴るとはこのことではないかと思わせるほどの艶やかさ。その音楽はいつも煌き、発光し、僕たちの心魂に直接に届き、感動を与える。

ワーグナー:
・楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
―第1幕「はじめよ!」
―第3幕「朝はばら色に輝いて」
・楽劇「ワルキューレ」
―第1幕「一本の剣を父は私に約束した」
―第1幕「冬の嵐は過ぎ去り」
・楽劇「ジークフリート」
―第1幕「ノートゥング、ノートゥング!人も羨む剣!」
・歌劇「リエンツィ」
―第5幕「全能の神よ、護り給え」(リエンツィの祈り)
・歌劇「タンホイザー」
―第3幕「熱烈な贖罪の心もて」
・歌劇「ローエングリン」
―第3幕「遥かな国に」(グラール語り)
ペーター・ホフマン(テノール)
イヴァン・フィッシャー指揮シュトゥットガルト放送交響楽団(1983録音)

ワーグナーの音楽を聴きながらいつも僕が思うのは、その勇壮さに対して内なる苦悩が垣間見えるところ。堅牢で豪壮な外面を持ちながら、繊細でか弱い内面をあわせもつ点が、彼の作品を永遠のものにしているのだろうと思う。それこそユングの言う「夜を恐れない」勇気とでもいうのか。

しかしながら、実際のリヒャルト・ワーグナーは決して強い人ではなかった。
コジマの赤裸々な本音吐露に言葉がない。

みんな具合が悪い。子供たちは声を嗄らし、鼻風邪をひいている。当地の気候はリヒャルトに合わない。加えて、さまざまな思いが。彼はいつも「苦悩や、悲しみや、不安につきまとわれ、予定通り仕事を終えられないのではないかと心配している」という。わたしは《熊の一家》の件でリーガーに手紙を書いた。
イタリア―もしかすると、いつの日か、そこがわたしたちの避難先になるかもしれないが、リヒャルトにはまるでなじみのない土地である。わたしたちは将来にも何ひとつ期待していない。
1872年4月3日水曜日
三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記3」(東海大学出版会)P174

不安や心配と闘っていたがゆえに彼の芸術は偉大なのである。
おそらく全盛期のホフマンにも、同様に未来への不安はなかったのだろうか?

あなたが奇跡のごとく私にお与えくださった力を、
どうぞ今なお滅ぼさないでください!
あなたは私に強さと力を与えてくださった、
私に素晴らしい能力を与えてくださった。
おかげで、思慮のない頑固者に分別を与え、
塵に埋もれていたものを引き上げることができた。
井形ちづる訳「ヴァーグナー オペラ・楽劇全作品対訳集―《妖精》から《パルジファル》まで―第1巻」(水曜社)P144

ホフマンの歌う「リエンツィの祈り」が清く、しかし悲しく響く。
また、「ローエングリン」での「グラール語り」の情感こもった静謐美。

それはグラールの杯と言われ、その杯をとおして最も純粋な信仰が、守護の騎士たちに与えられています。
グラールの杯に奉仕するよう選ばれた者は、
超自然の力が備わり、
どんな邪な欺瞞も消えてなくなり、
聖杯を眼にすれば、死の闇から逃れられます。
遠くの国に送られ、
徳を守る戦士に任命された者でも、
名前を知られることなく騎士として留まるかぎり、
その聖なる力が失われることはありません。
グラールの祝福はこのように気高いものですが、
名前が明かされると、騎士は世間から去らねばなりません。
~同上書P263

秘密を公開せねばならぬ苦悩と諦念が相交わる宿命の歌。
ペーター・ホフマンの歌は実に心地よい。

 

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