クレンペラー指揮フィルハーモニア管のヒンデミット「気高き幻想」(1954.10録音)ほかを聴いて思ふ

オットー・クレンペラーが録音した20世紀の作品はいずれもがとても素晴らしい出来。
特に、(作曲者らしからぬ色気のある美しい旋律を持つ)ヒンデミットのバレエ組曲「気高い幻想」は、いかにも濃密なクレンペラー節炸裂で、聴いていて心から感動を喚起されるのだからすごい。音楽のそこかしこに聖なる信仰告白的な雰囲気に満ちるので調べたところ、アッシジの聖フランチェスコにまつわるバレエ音楽からの組曲らしい。それならば、元々のバレエを観てみたいところだ。

クレンペラーは気性の激しい変人だったが、彼の思想や言葉は至極正論で、創造する音楽もまさに正面切っての正統なものだった。例えば、1927年のインタビューで彼は次のように答えている。

百周年を祝う最高の方法はなんですかと問われれば、1年間ベートーヴェンを演奏しないことだと言っておきましょう。ベートーヴェンはあまりに演奏されすぎです。だれもがベートーヴェンを演奏し、だれも現代の作曲家を聞きたがりません。ベートーヴェンは(・・・)マネージメントの商売道具になってしまったのです。マネージャーたちは、交響曲の5番か3番をやれば満員御礼になることをよくわかっているのです。だからといってベートーヴェンをやらないほうがいいというわけではないのですが、若い作曲家も(・・・)聴かれるべきなのです。(・・・)バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの時代には、聴衆はベートーヴェン、あるいはバッハ、あるいはモーツァルト、あるいはハイドンを聴いていました。そのころの聴衆は世を去った作曲家の作品は聴かなかったのです。どうして死んだ人の音楽ばかり聴きたがるのかわかりません(・・・)。わたしとしてはヒンデミットについて話したいところです。でもあなた方は、ベートーヴェンのことしかお聞きになりたがらない。
E・ヴァイスヴァイラー著/明石政紀訳「オットー・クレンペラー―あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生」(みすず書房)P163

確かダニエル・バレンボイムもエドワード・サイードとの対話の中で同様のことを話していなかったか。同じく僕も、ジャンルを問わず、現代の作曲家の作品がもっと聴かれて良いと思う。

・ヒンデミット:バレエ組曲「気高い幻想」(1954.10.7-8録音)
・フンパーディンク:歌劇「ヘンゼルとグレーテル」(1960.9.27&29録音)
―前奏曲
―夢見るパントマイム
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団

第1曲導入部の深沈と意味深く響く音楽の美しさと、ロンドのいかにもヒンデミットらしい剽軽な(?)音調を堂々たる交響作品に仕立てるクレンペラーの巧みさ。また、第2曲行進曲とパストラールでの、愛らしい歌が巨大な音塊となって迫る様に、指揮者が命を懸けて棒を振っていることを想像する。まさにパウル・ヒンデミットへの愛。
そして、第3曲パッサカリアでは、冒頭のデモーニッシュな金管ファンファーレから、時間を経るごとに音楽が有機性を増していく様子が手にとるようにわかり興味深い。何より作品の素晴らしさ。

それにしても抜粋ながらエンゲルベルト・フンパーディンクの素晴らしさ。
あまりに分厚い響きの前奏曲は、神秘的かつ妖艶な音楽で、ここにはクレンペラー芸術のすべてが投影されているように思う。そして、文字通り夢見るようなパントマイムの、筆舌に尽くし難い美しさ。

夜になってわたしが眠りにつくと、14人の天使が周りに立ってくれます。

ここでは、天使の輪舞の様子が見事に表現されており、本当にきれい。

 

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