バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルのアイヴズ第2番(1987.4Live)ほかを聴いて思ふ

カントリー色(民族色?)濃厚ながら、独自のセンスを盛り込んだジム・クロウチの歌はいつも懐かしい。
合衆国の、否、ネイティブ・アメリカンの古い、旧い記憶までもが刷り込まれたような音楽は、単に民族的というより、とてもスピリチュアルな印象を僕たちに与える。

Photographs and memories
Christmas cards you sent to me
All that I have are these
To remember you
“Photographs And Memories”

1973年9月の飛行機事故で急逝した彼の、まるで自らへのレクイエムのような音調に心が動く。あるいは、死の直後、全米No.1を獲得した”Time In A Bottle”の哀感が身に染みる。

If I could save time in a bottle
The first thing that I’d like to do
Is to save every day
Till eternity passes away
Just to spend them with you
“Time In A Bottle”

過去の美しい思い出をぎゅっと詰め込んだ小さな瓶とは、音楽を永遠に記録する音盤のことだと解釈することもできる。一回性の、二度と取り戻すことのできない芸術を、何十年も経過した後に享受できることの幸福と安寧。クロウチの音楽には永遠が刻まれる。

・Jim Croce:Photographs & Memories His Greatest Hits (1974)

Personnel
Jim Croce (guitar, vocals)
Steve Gadd (drumas)
Gary Chester (drums)
Michael Kamen (synthesizer)
Joe Macho (bass)
Maury Muehleisen (guitar, vocals)
Alan Rolnick (guitar, vocals)
Eric Weissberg (violin)
Tommy West (bass, keyboards, vocals), etc.

ジム・クロウチはいつも自然と一体だった。
彼の音楽が普遍的で美しいのは、中に「自然」があるからだと僕は思う。

Like the pine trees
Linin’ the windin’ road
I’ve got a name, I’ve got a name
Like the singin’ bird
And the croakin’ toad
I’ve got a name, I’ve got a name
“I’ve Got A Name”

何という生命力!

同様に、チャールズ・アイヴズの音楽の内にある懐古と革新。例えば、交響曲第2番での、数多の引用と、独自のアメリカ的イディオムによる創造力の発露は、同時代の作曲家に負けずとも劣らぬ斬新さ。ブラームスのようなフレーズがあれば、ドヴォルザークの如くの憂愁あり、また、ワーグナーの楽想が現れ、フォスターの名旋律まで顔を出すという多様さ。まさに「温故知新」。
作曲から50年もの年月を経ての初演の棒をとったのはレナード・バーンスタイン。

アイヴズ:
・交響曲第2番(1897-1901)(1987.4Live)
・はしご車のゴング、あるいはメイン・ストリートを行く消防士のパレード(1911)(1988.11Live)
・音の道第1番(1911)(1988.11Live)
・弦楽オーケストラのための讃美歌「ラルゴ・カンタービレ」(1904)(1988.11Live)
・ハロウィーン(1911)(1988.11Live)
・宵闇のセントラル・パーク(1898-1907)(1988.11Live)
・答えのない質問(1908)(1988.11Live)
レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック

バーンスタインの想念の重み。アイヴズへのシンパシーが見事に刻印される交響曲第2番。音楽は必要以上に粘りうねる。本当はもう少し軽快に歌った方が良いのだろうと思うところもあるが、最晩年の指揮者のエネルギーの強烈な発散という意味で、この演奏は最右翼。バーンスタインならではだろう。
そして、街の風景を見事に音化する、短い「はしご車のゴング」のおどろおどろしさと、細かい音の動きが音楽に複雑な脅威をもたらす無調作品「音の道」の崇高さ。素晴らしいのは「讃美歌」での大自然への深い信仰の荘厳さ。涙が出るほど美しい。

さらに、まるで絵のない絵画「宵闇のセントラル・パーク」では、暗闇の中から突如として浮き上がる喧騒が、自然に対する人間の愚かさを示すようでとても興味深い。それにしても、「答えのない質問」での、弦楽器群の深みのある伴奏に乗って咆哮する金管の旋律の、背筋が凍るほどの冷たさと虚ろな表情が堪らない(3年前、カンブルランが読響定期で「新世界」の前奏として採り上げたが、あの演奏も実に素晴らしかったことを思い出す)。

ホイットマンの「大道の歌」からの一節を引こう。

ここには魂の流出がある、
魂の流出は、木の葉で蔽われた門を通って内部から現れ、たえ
  まなく質問を喚起する、
こうした憧憬、それらがあるのは何故か?暗闇のなかのこう
  した想念、それらがあるのは何故か?
男たちや女たちがいるのは何故か、かれらがわたしの近くにい
  ると、太陽の光がわたしの血を漲らせるとは?
かれらがわたしのもとを去ると、わたしの喜びの三角旗が力無
  く細長く垂れてしまうのは何故か?
わたしが木々の下を歩くと、必ず広大で美しい音楽のような想
  念が、わたしの上に降りかかるのは何故か?
木島始編「対訳 ホイットマン詩集」(岩波文庫)P83

何だかアイヴズの思考と連関するようだ(というより、アイヴズはホイットマンの影響を受けているのだろうか)。

 

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