トーマス・アレンのヴォルフ「ゲーテ歌曲集」(1991.1録音)ほかを聴いて思ふ

山田耕筰の独逸留学中のエピソードに、同性愛の中年紳士と二人きりの1ヶ月近い旅行というものがある。

しつこく言い寄るその紳士に対し、山田は、暴力や圧力を加えるのでなく、あなたの誠実というもので私という男性を女性にしてみてごらんなさい、と約束をとり、多少の躊躇をものともせず、奇怪な旅路を共にすることになったのである。もちろん二人には肉体的関係はなかったのだが、あるとき自分が、(精神的に)完全な女になり切ってしまっていることに山田は気づき、別れを告げる。

山田耕筰はこの不思議な旅に対して次のように語る。

これは私にとって、決して無駄な旅ではなかった。世にあり得ぬような人間生活の一断面も見る事ができ、女性の弱さの一原因をも究め得たからだ。
山田耕筰「自伝 若き日の狂詩曲」(中公文庫)P258

出逢うもの、こと、肯定形も否定形も、すべてが血となり肉となるのである。
ちなみに、旅の最中の逗留地、フランクフルト郊外のサナトリウムで、ベルリン音楽大学に留学中と知った支配人や院長夫人から演奏をとせがまれ、山田が披露したのが、何とフーゴー・ヴォルフの「アナクレオンの墓」だったというから驚きだ。その場に居合わせた人々も、まさか日本人がヴォルフの歌曲を知悉しており、しかも相当な名唱を聴かせるとは思ってもいなかったそうだから、やんややんやの大喝采だったらしい。

ちなみに、最晩年の吉田秀和は、ゲーテの詩による「アナクレオンの墓」をことのほか愛したという。

これは唯一無二の歌。私は年とともに増す愛着の念をもって、この歌をきき、声のない声でもって、この歌を心の中でじっくり味わう。そうして、近年は特に「そうありたい歌」として、これは手許から離したくない歌となっている。
吉田秀和「永遠の故郷—夜」(集英社)P71

この、わずか3分ほどの静謐な歌は、悲しく神々しい。

薔薇が花咲き 葡萄の蔓が月桂樹に絡む
雉鳩が誘い 蟋蟀が歓を楽しむところ、
神々が挙って生命あるものを植え飾るところ、
これは誰の墓? 外ならぬアナクレオンの憩いの地。
春、夏、そして秋、幸多き詩人は歓をつくした、
迫り来る冬からは丘がしかと守りくれよう。
(吉田秀和訳)
~同上書P72

トーマス・アレンのバリトンが切なく、生と死の一体の、透明感を獲得する。何よりジェフリー・パーソンズの撫でるように優しい伴奏の妙!

ヴォルフ:ゲーテ歌曲集
・創造と生命をあたえること
・花のあいさつ
・似たもの同士
・あざけりの歌
・アナクレオンの墓
・現象
・竪琴弾きの歌1「孤独にふける者」
・竪琴弾きの歌2「私は戸口に忍び寄って」
・竪琴弾きの歌3「涙とともにパンを食べたことのない人は」
・ねずみをとる男
・コーランが永遠のものならば
・みんなで酒を飲もう
・人はしらふであるかぎり
・彼らは酔ったために
・今日この酒場では何がいったい
トーマス・アレン(バリトン)
ジェフリー・パーソンズ(ピアノ)(1991.1録音)

内なる狂気。ヴォルフ特有の、ドビュッシーとはまた異なる浮遊感が美しい。

たゆたう音調に、フレンチ・アヴァンギャルド、ブリジット・フォンテーヌ。何十年が経過しても決して色褪せない、そして、ときに妙に聴きたくなる(アルバム1枚わずか30数分の)名盤「ラジオのように」。標題曲に秘められた圧倒的なエネルギー、そして「短歌」と題する2つの楽曲の、直接的な愛!!(だけど、無暗矢鱈に悲しくなる)

私は空中に描いた
あなたのための美しい絵を。
あなたが、そこにいなかった時。
愛する人よ。
「短歌II」(沢ちよこ訳)

・Brigitte Fontaine, Areski Belkacem avec Art Ensemble Chicago:comme à la radio (1969)

恐るべし。この、デカダンスの味わいは、100年も前に、山田耕筰が友人たちにそそのかされて学ぼうと試みた(当時の)世紀末退廃芸術を髣髴とさせるものではないのか?人間の想像力は、否、創造力は、どこまでも果てしない。
50年も前に、こういう作品が生み出されていた奇蹟。19世紀末の、フーゴー・ヴォルフの毒同様に。

そうして・・・、「毒」という題を持つエンゾ・エンゾの可憐な歌に僕は寄り添った。

ポワゾン(毒)はどこ
いつも通り円卓の上
どうやって見分けるの悪いことを
汚いものを
ポワゾンはどこ
いつも通り円卓の上
あなたには自分を傷つける勇気はあるの
私を傷つけることはできる
「ル・ポワゾン」(武者小路真理恵訳)

極めて正統的なフランスの歌。斜に構えたひねりはないが、直接的な分、心を軽くする効果効能を持つ。アルバムに添えられた本人の言葉。

私自身急いでいたわけではないのでこのアルバムには時間をかけましたが、このアルバムは私にたくさんの喜びを与えてくれたし、なによりも非常に誇りに思っています。

・enzo enzo:Deux (1994)

作った本人に喜びがあるのだから、それを享受する者たちにどれほどの喜びを与えたことか。毒はクスリにもなる。明朗で温かい歌に思わず惹きこまれる。

再びフーゴー・ヴォルフは、「孤独にふける者」。

孤独になじむ人あらば、
あわれ、やがて独りにならん。
人みなおのがじしいのちと恋を楽しみ、
孤独なる人の痛みを思わず。
「立て琴ひき(孤独に)」
高橋健二訳「ゲーテ詩集」(新潮文庫)P112

中間の慟哭と、それを挟む、優しく囁くアレンの歌が美しい。

 

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