ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団第662回定期演奏会

グスタフ・マーラーは死を怖れ、死を回避せんがために音楽を書いた。
エドワード・エルガーは違う。彼にとって死とは祝祭だった。
オーケストラも合唱も、指揮者も独唱者もとてもリラックスした状態で舞台に登場した。気のせいか、演奏の始まる前から場の空気は妙に明るかった。

ヨーロッパ中がリヒャルト・ワーグナーの影響下にあった時代。
もちろんエルガーもワーグナー風の音楽を書いた。半音階を駆使した、妖艶であろうとする音楽は確かに生々しい。しかし、そこにはワーグナーほどの危険な色がないのである。天国的な明るさがひしめき、暗黒の、悪魔的な響きはほとんどなかった。どちらかというとマーラーの先取りなのだろうか、祝祭的大音響が、それでいて繊細かつ筋の通った音楽があっという間に過ぎて行った。

不可思議な音と声と・・・。文字通り「夢」である。
第1部序奏は、ワーグナー同様、愛と死とを一体にした美しい歌。友人(従者)たちが「キリエ・エレイソン」を叫ぶ初めの合唱は、何と大らかだったことか。死に瀕したゲロンティアスへの深い祈り。同じく合唱の「ああ主よ、この苦しみの時から彼を救ってください」の絶叫の迫真に度肝を抜かれた。ゲロンティアスは何と幸せだったのだろう。第1部最後、司祭の登場に鳥肌が立った。

旅立ちなさい、キリスト者の魂よ、この世から!
(秋岡陽訳)

クリストファー・モルトマンのバリトンの深みに言葉がなかった。
終結、指揮者のタクトが止まり、腕が降りた瞬間のあまりの神々しさ、会場の清らかさに僕は息を飲んだ。素晴らしかった。

東京交響楽団第662回定期演奏会
2018年7月14日(土)18時開演
サントリーホール
マクシミリアン・シュミット(テノール、ゲロンティアス)
サーシャ・クック(メゾソプラノ、天使)
クリストファー・モルトマン(バリトン、司祭・苦悩の天使)
東響コーラス
クレブ・ニキティン(コンサートマスター)
ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団
・エルガー:オラトリオ「ゲロンティアスの夢」作品38
—第1部
休憩
—第2部

煉獄の世界を描く第2部は、天使とゲロンティアスの魂の二重唱が素晴らしかった。それにしても悪魔たちや天上の合唱を歌う東響コーラスの、それこそ善悪双方の役柄を見事に歌い分ける巧さよ!また、モルトマンによる苦悩の天使の嘆きの表現の繊細さ!

あなたの力を萎えさせたあまたの過ち、
あなたの息を詰まらせた罪の意識、
あなたを取り囲んだ無垢な魂、
あなたの中に君臨した聖なるもの、
あなたと一体であるその神性、そのすべてによって、
あなたを熱く慕うこの魂たちをお救いください。
(秋岡陽訳)

白眉はやっぱり魂による「私を連れてって行ってください」以降だろうか。
直前のオーケストラによる阿鼻叫喚の恐ろしさ。切々と歌われる聖なる言葉に、僕は唸った。サーシャ・クックの余裕のある声に痺れ、マクシミリアン・シュミットの堂々たる歌に畏怖の念を抱いた。

終演後の途轍もない温かさ。大きな拍手喝采の後、指揮者だけステージに呼び戻され、いわゆる一般参賀。

死が最後だと思うから、死後というものを見て聞いて体験した人の話を聞いたことがないから、僕たちは死というものを恐れ、誤解する(または宗教にもすがることになる)。死は、本当はもっと温かく、恐れることのない喜びに満ちた経験なのだろうと今日の演奏を聴いて思った。
音楽は偉大だ。

 

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