ブーレーズ指揮ベルリン・フィルのヴェーベルン変奏曲(1994.9録音)ほかを聴いて思ふ

アントン・ヴェーベルンの内側に眠る(?)官能性、というか色気をあらためて発見する。
いかにもメカニカルに響くピエール・ブーレーズの演奏は、特に年齢を重ねるごとに、人間の根底にある愛と死にまつわる情念を一層浮き彫りにし、作曲家の生み出すあの凝縮された音の中に、あらゆる情報を投影させるほどの力があると知った。
何より色合い、楽器の選択の絶妙さこそがヴェーベルンの神髄であるが、そのことを注視し、最も繊細に扱おうとするのがブーレーズなのだと僕は思う。

ブーレーズは決して解釈しない、考えない。
ただひたすら楽譜に対峙し、感じるのである。

おそらく私たち西洋人の伝統は、あることを必要とする以上、こうした聴き方の問題に関して影響を与えないだろう。すなわち、西洋人は他人の意味するところを理解するために、つねに十分に明瞭な身振りを必要とするのだ。劇場で、たとえば西洋の俳優のスタイルと日本の訳者のスタイルを比較すれば、あるいは西洋の踊り手のスタイルとインドの踊り手のスタイルを比較すれば、何が問題なのかたちどころに分かるだろう。
ヴェロニク・ピュシャラ著/神月朋子訳「ブーレーズ―ありのままの声で」(慶応義塾大学出版会)P33

西洋音楽は、いわゆる東洋的「阿吽の呼吸」を排除したところにしか成り立たないと考えるブーレーズは、ある時、(歌舞伎か能か、日本の伝統芸能に触れ)東洋的センスの重要性を会得したのだろうか。少なくとも、ヴェーベルンの旧い録音に比較して、新しい録音は、聴衆との「阿吽」を超え、曖昧な色彩に満ち、それゆえの色香が横溢するように僕は思う。

ヴェーベルン:
・管弦楽のための5つの小品作品10(1913)(1996.2録音)
・女声独唱と管弦楽のための3つの歌曲(1913-14)(1996.2録音)
・交響曲作品21(1928)(1994.9録音)
・混声合唱と管弦楽のための「眼の光」作品26(1935)(1994.9録音)
・ソプラノ独唱、混声合唱と管弦楽のためのカンタータ第1番作品29(1938-39)(1994.9録音)
・管弦楽のための変奏曲作品30(1940)(1994.9録音)
・ソプラノ独唱、バス独唱、混声合唱と管弦楽のためのカンタータ第2番作品31(1941-43)(1994.9録音)
クリスティアーネ・エルツェ(ソプラノ)
ジェラルド・フィンリー(バス)
BBCシンガーズ
ピエール・ブーレーズ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

聴く者の思考を超越する後期の変奏曲。点と点の連なりが、オーケストレーションの彩だけで驚くような面を形成し、果ては巨大な空間に発展して行くように感じられるのだから、そこはヴェーベルンの魔法(あるいはブーレーズのそれか)。研ぎ澄まされた、無駄を一切排除した、極小世界の美しさ。

巨大化する浪漫は、最後に行き場を失ったが、もしもヴェーベルンが誤って射殺されることなく生き延び、その後も作品を生み続けたとしたなら、一体どんなものが生み出されていたのだろう。僕には想像もつかない。ヴェーベルンの源流(過去)をほんの少し時間を巻き戻しながら、あるいはヴェーベルン没後の未来を、ほんの少し時間を早送りしながら辿ってみた。

・マーラー:ピアノ四重奏曲(1876)~第1楽章
・シェーンベルク:ヴァイオリンとピアノのための小品ニ短調(初期作品)
・ヴェーベルン:チェロとピアノのための2つの小品(1899)
・ヴェーベルン:ヴァイオリンとピアノのための4つの小品作品7(1910)
・ベルク:クラリネットとピアノのための4つの小品作品5(1913)
・ヴェーベルン:チェロとピアノのための3つの小さな作品作品11(1914)
・ヴェーベルン:チェロ・ソナタ(1914)
・ベルク:ピアノ、ヴァイオリンと13の管楽器のための室内協奏曲(1925)~第2楽章
・シェーンベルク:弦楽三重奏曲作品45(1946)
・シェーンベルク:ピアノ伴奏によるヴァイオリンのための幻想曲作品47(1949)
クレメラータ・ムジカ
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
オレグ・マイセンベルク(ピアノ)
ザビーネ・マイヤー(クラリネット)
ヴェロニカ・ハーゲン(ヴィオラ)
クレメンス・ハーゲン(チェロ)(1994.5-6録音)

マーラーにもシェーンベルクにもヴェーベルンにも、少なくとも初期、19世紀の筆には恍惚の、儚い美しさがある。しかし、それらはいろいろな意味で亜流だろう。彼らが各々独自の世界を築くのは、20世紀に入ってからだ。時代の空気がそうさせるのか、比肩する仲間、ライバルたちの進化が互いを刺激するのか、それはわからない。
ベルクを聴いて思った。多様な音色を繰り出すザビーネ・マイヤーのクラリネットが殊更素晴らしい。
それにしてもシェーンベルクの、臨死を体験した直後に書かれた弦楽三重奏曲は一世一代の傑作だと思う。
クレーメルはひたすら音楽に向き合って発火する。
聴く者に思考の余地を与えず、ただ感じろと彼は言うようだ。

 

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