フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルのブルックナー「ロマンティック」(1951.10.22Live)を聴いて思ふ

久しぶりに聴いたフルトヴェングラーのブルックナーはとても熱い。
これほどに音楽が躍動していたのかと、ほとんど真面に耳にしないまま何十年も過ごしてしまったことに懺悔する。

いかに大衆の心を掴むのか?
音楽家が最も望むのはそれだろう。
ブルックナーの感性は、時代の何十年も先を進んでいた。彼は、同時代の人々に理解されようなどと微塵も思っていなかったのかもしれない。

ウィーン時代の1883年に晩年のブルックナーの部屋を訪れたシュトラーダルは「聖書」と「ナポレオン伝」の2冊、86年からブルックナーの弟子になったクローゼは「メキシコ戦史」「極地探検の世界」「ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン伝」「ルルドのマリアの奇蹟論」の4冊しか本が無かったと述べているが、そうしたことは、〈ワルキューレ〉を観た後の「あの女は何故、焼かれたのだ」という、ワーグナーが聞いたら唖然とするに違いない感想とともに、ブルックナーの非文学性を物語っている。
金子建志著「こだわり派のための名曲徹底分析 ブルックナーの交響曲」(音楽之友社)P7-8

「非文学性」とは!!
変人ブルックナーの作曲語法の非論理性を、彼の性格や志向と照らし合わせて指摘する金子建志さんの言葉に納得する。

しかしブルックナーは、そうした聴き方に平然と肩透かしを喰わせるのだ。各ブロックは金管のファンファーレやゲネラル・パウゼで明確に区分され、それぞれ全く独立した世界を形成するのである。特に、交響曲の顔ともいうべき1楽章と結論たるべきフィナーレが、そうした構成ゆえに取り分け難解な印象を与えることになった。
~同上書P8

肩透かしどころか、その個性こそが魅力なのである。他にはない、ほとんど支離滅裂といっても良い初稿のあの斬新さ(?)は、理解云々を超えたところにあり、それ自体是非するものではない(それこそ前衛的現代音楽の良し悪しを問うのと同じように)。まさに「感じる」ものなのだと僕は思う。

ところで、時代が徐々に作曲家の志向に追いつき始め、いよいよアントン・ブルックナーの原典を世に問うべく尽力したのがロベルト・ハースであり、またレオポルト・ノヴァークであったわけだが、その前に、ブルックナーへの扉を開いたのが弟子たちであることを僕たちは忘れてはならない。

これらの人たち(シャルクやレーヴェ)が、ブルックナーの作品を彼らの時代にとって「聴かれるにふさわしい」ものにすることによって「改竄した」と主張することほどばかげたことはない。彼らは当時、若かったが、まさにブルックナーに対する燃えるような熱狂からしたことだから、「改竄」のようなことは彼らにはもっとも程遠いものであったということは、証明の必要もないほどである。彼らが希求したのは、彼らの崇拝の対象であったブルックナーに、当時の世間に知られるようになるための道を拓くことだった。彼らはその道に到達し、その道をさらに数十年にわたり護り続け、そのことによって「ブルックナーの使徒」となったのである。彼らは、わたしたちの多くが個人的に知己を得ることができた人たちであり、そのことに対して彼らに感謝すべきなのである。
「ブルックナーの作品と現代」
レオポルト・ノヴァーク著/樋口隆一訳「ブルックナー研究」(音楽之友社)P156-157

個人という単位で見ても、世界という単位で考えても、不要な事象は起こり得ない。
シャルクやレーヴェが改訂を施したのは、ノヴァークの指摘通り、道を拓くためだったのである。

・ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(レーヴェ改訂版)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1951.10.22Live)

第1楽章冒頭ホルンの奏する主題から音楽の呼吸は深く、そして生き物の如くうねる。
壮絶な金管の咆哮と、ティンパニの轟きはあまりに人間的な響きであり、そこにはフルトヴェングラーの命がけの奉仕が感じられる。続く第2楽章アンダンテ・クワジ・アレグレットの官能!!そして、第3楽章スケルツォのパッション!!
それにしても終楽章の、いわゆるブルックナーの原典のもつ大宇宙の鳴動とは様相を異にする巨大な隕石が発する熱波のような「間」と「溜め」、そして「揺れ」に思わず感応する。コーダの異次元の圧倒感こそ聴きどころ。

ブルックナーの偉大な芸術はもう今日のドイツの人間を構成する必然な要素となりました。彼の音楽は現実的でもあります。それは超時代的な不滅なものに指向されたものであるゆえに、現実的なのです。それは過去の芸術に対する現在の人間の関係を、最も真の意味において圧迫するいわゆる音楽歴史的な「方法論」をまず捨ててかかる必要があることを教えます。と言って決してブルックナーが彼が生きた時代の中に根を下ろして生育したものではなかった、などと言おうとするのではありません。ただ彼の同じ時代の同僚であるワグナーやブラームスが彼らの時代を高度に形成し、造形し、或るときはかりたてて前進させ、或るときは後退させつつ、とにかく彼らの時代を築きあげた真の意味での建築の巨匠であったのに、ブルックナーは時代からはみ出て外に立っていました。彼は「今日」という日のために作曲したのではありませんでした。彼は彼の芸術の世界の中で、ただ永遠なるものだけを思念し、そしてその不滅者のためにだけ創作しました。
「アントン・ブルックナーについて」(1939)
フルトヴェングラー/芳賀檀訳「音と言葉」(新潮文庫)P156-157

たぶん作曲家自身はそこまで考えていなかったはず。
ブルックナーは、ただひたすら感性と創造力の赴くままに筆を執ったのだと思う。

 

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