朝比奈隆指揮大阪フィルのフルトヴェングラー第2番(1984.7.2Live)を聴いて思ふ

リヒャルト・ワーグナーは、音と言葉の融合を果たし、音楽をそれまでより高次のものに仕立てた。しかし一方で、それによって音楽の持つ本性が不安定になったと、フルトヴェングラーは「音と言葉」(1938年)という小論の中で、彼の功罪を説いている。

かくて、音楽と詩とは、—あの驚くべき芸術作品のおかげで、充分一時的に結合する力を持ちうることが証明されたのです。—がやはり、それらをその最後の決定にまで追究していってみると、それらは二つの相異なった力であり、それぞれ独自の方法で同じことを発言しようとします。言わば同じ一つの要素から成る異なった二つの集合状態とでも言いましょうか。それらは同時に溶解しあうことはできません。—しかもこの両者はいずれも同一の質から成り立っていることに変りはないのです。
「音と言葉」(1938)
フルトヴェングラー/芳賀檀訳「音と言葉」(新潮文庫)P230

フルトヴェングラーは、音と詩とは同じ親から生まれた兄弟であり、近親相姦的に交わることは根本的に不可能だというのである。しかしながら、本人の弁や思考とは裏腹に、彼の音楽は極めて視覚的であり、詩的であったと同時代の人々は述懐する。おそらく音楽と言葉の融合は、受取手(すなわち聴衆)の器や感性に左右されるもので、創造者(発信者)がコントロールできないものなのだろう。

オットー・エアハルト「フルトヴェングラーは、視覚の人でした。音のなかに物を見ることのできる人でした。精神化と官能化—氏にはこの両方が可能でした。そしてそこからあの信仰告白にも似た氏の演奏の一回性が生まれたのです。」
「没後30年記念フルトヴェングラー—時空を超えた不滅の名指揮者」(音楽之友社)P100

パウル・ヒンデミット「彼の持っていた偉大な秘密は、均整の感覚でした。楽句や主題や楽章夜交響曲全体や、さらにはプログラムまで、芸術的統一体として表出する術を心得ていたように、音楽家としての彼の全存在が、この感覚によって支配されておりました。」
~同上書P100

何事においても全体観の獲得、体得は重要なポイントだ。

ところで、フルトヴェングラーには、指揮は余技で作曲家が本業だという自負があった。実際残された作品は決して少なくない。ただし、作品そのものは晦渋な印象のものが多く、そのせいか今はプログラムに乗ることはほとんどない。
フルトヴェングラーの作品を理解する一歩は、彼が音と詩とを同源とし、はっきり区別するべきだとした論をヒントにすることだろう。要は、逆に、彼の紡ぎ出す音から詩を想像し、逆にまた詩から彼の音楽を空想してみることだ。

・フルトヴェングラー:交響曲第2番ホ短調(1944-45)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1984.7.2Live)

第1楽章アッサイ・モデラート―アレグロ、ヴァイオリンによる浪漫的な主題は意外にあっけなく去ってゆく。ほとんどマーラー的世界の焼き直し。ただし、朝比奈は相当想いを込めるものだから、音楽はうねり、爆発する。

私は知っている、自分のものだといえるのは、
自由自在に自分の心から
流れ出てくる思想と、
自分に好意を持つ運命が
底の底まで味わわしてくれる
幸福な瞬間々々だけだ。
「自分のもの」
高橋健二訳「ゲーテ詩集」(新潮文庫)P214

また、第2楽章アンダンテ・センプリーチェ(トランクィロ)は、何と暗い音楽なのだろう。戦時の荒廃をありのままに映すような音調に、戦争を知らない僕もとても悲しくなる。ここで朝比奈は、ブルックナーの緩徐楽章を奏するかのように祈る。

たかぶり勢う精神、巧みにそれを引き下す
愛。あらけなく押しひしぐ苦悩。
こうして私は一巡する 生の弧線を
そして戻る 私の由来する源へ。
「生の道」
川村二郎訳「ヘルダーリン詩集」(岩波文庫)P24

続く第3楽章ウン・ポコ・モデラート―アレグロは2拍子のスケルツォ。主部の主題は平易な旋律ながら、内燃する愛の炎が蠢くような粘着質。朝比奈も一層の感情を傾ける。白眉は30分近くに及ぶ終楽章ラングザム、アレグロだろうか。頂点に向ってゆったりと流れる音楽に、時間が止まり、空間が一気に解放されたかのような錯覚にとらわれる。

沈む日のひかりは麗し。
されど更にうるわしきは、君が眼のかがやき。
夕映えの紅らみと君が眼と
そは愁わしきわが心に照り入る。
「沈む日」
片山敏彦訳「ハイネ詩集」(新潮文庫)P187

大河の如く滔々と流れる音の洪水に、無心に身を委ねることだ。
フルトヴェングラーの性質そのものを示すかのような愚直な音楽は、朝比奈のような同質の指揮者が棒を振ると一気に真実味を増す。色気を排除しようとする分、ごつごつとした外面にも関わらず音楽は一層生命力を獲得するのだ。

エルネー・バロー「フルトヴェングラーも、人間であれば、それらしい弱点を持ってもおりました。よく決着をつけ兼ねると、周囲の者のいうことをすぐ真に受ける傾向がありました。他人の言葉にたやすく影響され、最終的な言を発する人があれば、それを信じ込んでしまうこともしばしばでした。しかし、相手が金持や高官だからといっても、それは通用しませんでした。」
~同上書P95

第1楽章第1主題が木魂するクライマックスの正統な盛り上がり、コーダの圧倒的音圧。
この純粋無垢さこそを、僕たちは彼の音楽の中に聴きとるべきだろう。残念ながら僕はこの日のコンサートに触れていない。無念。

 

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