岩城宏之指揮アンサンブル金沢の「21世紀へのメッセージVol.3」(1995.10録音)を聴いて思ふ

大自然は破壊主であり、また創造主だ。
自然と同様の機能が、僕たち人間にも備わっている。
創造にフォーカスするとき、一方で破壊が始まる。すべては再生のための通過点なのだと思う。

感覚を研ぎ澄ませと、降りてくる。
20世紀末に創造された、「21世紀へのメッセージ」と題された邦人作曲家の作品たちに内在する底知れぬ力。そこには日本人らしい、謙虚さと和の精神が宿る。色は、強いて言うなら透明。澄んだ音調に僕は言葉を失う。

全体は、急・緩の2部分から成るが、一度に続けて演奏される。曲はテンポの緩急を問わず、本質的にモノフォニックである。それはメロディであるとは限らないが、常にひとつの単旋律が存在するのみである。
(野平一郎)
~ライナーノーツP28

野平一郎は、「室内協奏曲第1番」をして、相対を一に帰した。おそらくほとんど意識なく。
金子仁美も「フルート協奏曲」において、独奏楽器をまるで尺八のように扱う(そこにあるのは大自然への信仰)。

フルート独奏とオーケストラについて。今回もまず思ったのは呼吸のことだ。
(金子仁美)
~同上P31

僕たちは、生きとし生けるものは、空気を分かち合う。金子仁美は、独奏者の息の吹き込みが、オーケストラの各楽器にも息を吹き込み、各々の音を喚起するというイメージでこの作品を書いたのだという。音楽は協奏であり、アドラーのいう「共同体感覚」を創出する優れた媒体だと僕はあらためて思った。

21世紀へのメッセージVol.3
・野平一郎:室内協奏曲第1番(1995)(作曲委嘱:岩城宏之)
・金子仁美:フルート協奏曲(1995)(作曲委嘱:岩城宏之)
・近藤譲:岬へ(1995)(作曲委嘱:岩城宏之)
・細川俊夫:室内オーケストラと弦楽(任意)のための「庭の歌Ⅰ」(1995)(作曲委嘱:岩城宏之)
木村かをり(ピアノ)
工藤重典(フルート)
岩城宏之指揮オーケストラ・アンサンブル金沢(1995.10録音)

そして、静謐なる時間の芸術作品、近藤譲の「岬へ」。

「歴史」を通じて顕現する過去という広大な領野。この時間の大地の縁から、未知の海へ向かって・・・岬へ。
(近藤譲)
~同上P33

おそらく崖っぷちに突っ伏すような感覚が、まさに「今ここ」という感覚。美しい音楽だ。
さらに、細川俊夫の「庭の歌Ⅰ」は、シューベルトの伝記に触発されて生み出されたものだそう。

凍りついた大地から、開花を願う音の運動があり、春の嵐を得た後、心の奥に眠った歌が開花し始める。
(細川俊夫)
~同上P35

変化、変容、浄化、再生。すべては夢想。
音楽が、たった一回きりのものであると同時に、大自然の法に則り、規則的に繰り返される芸術であることを確信する。

三六 小松
此の所太田の神社に詣づ。真盛が甲・錦の切あり。往昔源氏に属せし時、義朝公より給はらせ給ふとかや。げにも平士のものにあらず。目庇より吹返しまで、菊から草のほりもの金をちりばめ、龍頭に鍬形打つたり。真盛討死の後、木曽義仲願状にそへて、此の社にこめられ侍るよし、樋口の次郎が使せし事共、まのあたり縁記にみえたり。
  むざんやな甲の下のきりぎりす
松尾芭蕉/久宮哲雄全訳注「おくのほそ道」(講談社学術文庫)P273-274

芭蕉の小松到着は陰暦7月24日(陽暦9月7日)のこと。嗚呼、秋の哀れよ。

 

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