フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルのモーツァルト「アイネ・クライネ」(1948録音)ほかを聴いて思ふ

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」K.525。
鍵を握るのは、行方不明のメヌエット楽章か。もしこの楽章が現存していたなら、僕たちのこの作品に対するイメージは確実に違っていたことだろう。
フルトヴェングラーの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」K.525(ブライトクランク盤)。
小夜曲であるにもかかわらず巨大な交響曲。おそらく指揮者は、ユーモアやポピュリズムを切り捨て、シリアスな一大交響曲として解釈し、音を描いたのだと思う。

1787年8月10日完成。死後、何十年も経過してからの出版ということもあろう、創作の目的や経緯は不明とされる。しかしながら、モーツァルトの作品の中でも最も有名なものの一つ。

父の遺産にまつわる問題と自身の窮乏生活。モーツァルトは、結果、1000グルデン(現在の相場で120万~160万円)を受けることになる。

ただ一つ違う点は、1000グルデンをドイツ国のお金でなく、ヴィーンのお金で、それもプライマリの為替手形で支払っていただきたいことです。次の郵便の日に、ご主人にぼくたちの間の譲渡の、というよりは契約の文章を送ります。そのあとでそれによって二通の原本を送り、一通はぼくが署名し、もう一通は義兄さんに署名してもらいます。
(1787年8月1日付、姉ナンネル宛)
柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)」(岩波文庫)P130

生活の逼迫する者の現実的な手紙に、当時の彼の音楽も、いかにも内発的なものに見せながら、実はお金を工面するための手段に過ぎなかったと捉えたら、何と興醒めなことか。しかし、それゆえに彼の作品は永遠であり、尊いのだともいえる。

第1楽章アレグロからどこか仄暗い。内なる情熱が、解放されない情熱が渦巻く詩情。モーツァルトの書いた主題はもちろん明るい。しかし、フルトヴェングラーが指揮をすると重たく、暗いのだ。続く、第2楽章アンダンテが泣く。疾風怒濤の第3楽章アレグレットは雄渾だ。そして、終楽章アレグロのコーダに向かって突き進む勢いはフルトヴェングラーならでは。まるで交響曲だ。

・モーツァルト:交響曲第40番ト短調K.550(1948.12.7&8録音)
・ハイドン:交響曲第94番ト長調Hob.I:94「驚愕」(1951.1.11, 12&17録音)
・モーツァルト:セレナードト長調K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1949.4.1録音)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

1788年7月25日完成。約1ヶ月前の6月29日に、長女テレージアがわずか半年の命で亡くなっているが、果たしてそのことは交響曲の創作に影響を及ぼしているのだろうか。

久しぶりに聴いたフルトヴェングラーのト短調交響曲(ブライトクランク盤)の印象は、これまでとまったく違った。第1楽章アレグロ・モルトは、思ったほどテンポは速くない。また、呼吸も決して浅くない。むしろ、そのほとばしるパッションに感銘を受け、何より提示部の主題反復の際のニュアンスの微妙な変化に感動する。そして、第2楽章アンダンテの安寧。フルトヴェングラーの指揮はあくまで脱力の自然体。第3楽章メヌエットも、とても舞曲とは思えぬ厳しい音色。さらに、終楽章アレグロ・アッサイの疾風は、すべてを切り刻む鋼の如し。

ところで、フルトヴェングラーは、1951年、ベルリン音楽大学の学生との対談で「魔笛」について次のように語っている。

この作品をひとつの枠のなかに閉じこめ、童話劇とみなしたり、また神聖祝祭劇などとみなすとすれば、それは間違いであり、いわば誤った主知主義というほかはりません。これは自然全体を包摂している作品とみなさなければなりません。それは今日の意識過剰な人間にとって、とても理解するのがむずかしいといえます。わたしたちはいつも作品の背後になにか意味のようなものがないと満足しません。現代人はなにかアイデンティファイできるものがないと安心できないのです。
(訳:喜多尾道冬)

真理は言語化できず。「魔笛」に限らずモーツァルトの音楽は、フルトヴェングラーの言うように大自然の相似形であるように思う。「アイネ・クライネ」然り、ト短調交響曲然り。無心で聴くことだ。

 

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