何という素朴さ。
この人の特性を、否、本性を見事に表す作品群。
若き日のピアノ音楽を侮ることなかれ。ここには、後年の、大家としてのアントン・ブルックナーの萌芽がある。なるほど、彼の本懐は舞踊にあるのだ。然らば、交響曲においてもスケルツォ楽章は特別だ。
時に人は野人の踊りだと評する。トリオは大自然への祈り。
ブルックナーは間違いなくシューベルトを志向した。
大作曲家の中で、最初にワルツを書いたのはシューベルトである。生涯自由人として生きたシューベルトは、以上の三人(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン)のように宮廷や貴族の伝統にしばられることはなかった。彼の周りには、ワルツがのびのびと育ちうる環境があった。彼自身ダンスこそしなったがワルツを好んだ。友人仲間の集まり「シューベルティアーデ」では、歌曲をうたったり、ワルツを踊って楽しんだが、そんな折に彼はピアノで伴奏をした。しばしば何時間もピアノに向かい、即興でウィーン情緒あふれる美しいワルツをたえまなく弾きつづけた。
~加藤雅彦著「ウィンナ・ワルツ—ハプスブルク帝国の遺産」(NHKブックス)P33
例えば、4手ピアノのためのカドリーユ終曲では、シューベルト晩年の3つの小品D946第2曲アレグレットが木魂する。あの、恋焦がれるような美しい旋律が、シューベルトほどの洗練はないにせよ、懐かしさと憧れ、あるいは希望に満ち、歌われるのである。
私はあなたとの結婚に望みを抱いてよいのでしょうか、またそれをあなたの御両親に許していただけるようお願いしてよいのでしょうか。それとも、私という人間は好みに合わなくて、私との結婚は熟考することが不可能でしょうか。お願いに対して答は一つしかありません。あなたに結婚を申し込んでいいのか、それとも、この考えは永久にあきらめなければならないのか、あなたの選択をできるだけはっきりと、またできるだけ早くお知らせ下さい。
(1866年、ヨゼフィーネ・ラング宛)
~「音楽の手帖 ブルックナー」(青土社)P53
ブルックナーには生来決断を他人に委ねる癖があったようだ。
幾度もの改訂作業による多数の版の存在は、結果として、彼のそういう性癖によるものだということがこの手紙からも推測できる。しかしながら、お陰で僕たちは、様々な衣装を施されたブルックナー作品を享受し得るのだ。
珍曲。初期のピアノ作品には一切の衒いがない。
おそらく他人の評価を得るために生み出したものでなく、極めて自発的な、内的発露による音楽なのだと思う。すべてがあまりに素朴だ。
ブルックナー:ピアノ作品集
・ランシエ=カドリーユ(1850頃)
・シュタイアメルカー(1850頃)
・4手ピアノのためのカドリーユ(1854頃)(シュトルツによる完成版)
・4手ピアノのための3つの小品(1853-55)
・ピアノ曲変ホ長調(1856頃)
・ソナタ楽章ト短調(1862)
・秋の夕べの静かな思い(1863)
・幻想曲(1868)
・思い出(1868頃)
ヴォルフガング・ブルンナー(ピアノ)
ミヒャエル・ショッパー(ピアノ)(1994.3.21-23録音)
さすがに1868年にもなると、ブルックナーの方法は格段に進化していて、(当時10歳のアレクサンドリーネ・ゾイカ嬢に捧げられた)「幻想曲」も「思い出」も、実に内省的で深遠な音調を保つ。
たぶん、「幻想曲」にも「思い出」にもブルックナーの消極的な(ロリータ的)愛が潜む。
ちなみに、ブルンナーの演奏するピアノは、1835年以前のベーゼンドルファーということだが、古の、いぶし銀のような曇った音色が、若きブルックナーのいわば習作たちにある種の深みを与える。
ここには私が胸衿を開いて語り合えるような人は一人もいません。それに私はいろいろな点で誤解されていて、そのためしばしばひそかな苦痛を味わっています。当修道院は音楽にまったく冷淡で、その当然の結果として音楽家にも冷やかです。ああ、近いうちにあなたに会えて語り合うことができたらどんなにすばらしいことでしょうに。
(1852年7月30日付、イグナーツ・アスマイアー宛)
~同上書P52
アントン・ブルックナーはやはり孤独だった。
※僕の30歳の誕生日の録音。
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[…] くとして、第2稿での彼の内面にある(誤解を恐れずに言うなら)女々しさ(ヨゼフィーネ・ラング嬢宛の恋文を見よ)、良く言えば女性的な側面が前面に押し出されていたのに対し、大 […]