シルヴァン・カンブルラン指揮読売日本交響楽団第581回定期演奏会

音楽は宇宙だとあらためて知った。
生きることの苦悩、また、生きることの喜び。何と言ってもプログラミングの妙。
現代の音楽は決して小難しいものではない。考え、感じることを止め、感覚で捉えることを学んだとき、それらは一層魂に響く。職人シルヴァン・カンブルランの「魔法」。名曲シリーズでのコーストヴェット版「ロマンティック」も素晴らしかったが、今夜はそれを凌ぐ。恐るべし。

クシシュトフ・ペンデレツキのエレジーの、哀歌の素晴らしさ。ステージ上手側からパート譜を覗いたら、譜面は図形だった。特殊奏法が、トーン・クラスターが炸裂する様に感動した。弦楽合奏による魂の叫び、あるいは霊的な祈り。ドビュッシーさながら、音の浮遊感に酔いしれた。
続く、カロル・シマノフスキの協奏曲第1番は、庄司紗矢香以来の実演。あの夜の演奏は確かに素晴らしかったが、今夜の諏訪内晶子はそれ以上。彼女のヴァイオリンは強力だ。何より音が大きい。管弦楽に優るとも劣らぬ絶叫。勢いがあり、熱狂があり、鋼の如くの切れ味の、ぶれないヴァイオリン独奏。なるほど、この作品は第一次世界大戦中の作曲だ。ならば今回のプログラムは「反戦」をテーマにするのか?ましてやそれぞれの作品が3部構成になっている点が肝。すべてが三位一体を示す調和の発露。第3部の、コハンスキ作曲のカデンツァの繊細な官能。分厚い音響に、読響も素晴らしく、同時に諏訪内の天才を確信する。毅然とした唯一無二のシマノフスキ。
アンコールのウジェーヌ・イザイがまた、繊細でありながら力強く、美しかった。

読売日本交響楽団第581回定期演奏会
2018年9月28日(金)19時開演
サントリーホール
諏訪内晶子(ヴァイオリン)
長原幸太(コンサートマスター)
シルヴァン・カンブルラン指揮読売日本交響楽団
・ペンデレツキ:広島の犠牲者に捧げる哀歌(1959-60)
・シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番作品35(1915-16)
~アンコール:
・イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調~第1楽章「妄執」
休憩
・ハース:静物(2003)
・ラヴェル:ラ・ヴァルス(1919-20)

15分の休憩を挟み、後半最初はゲオルク・フリードリヒ・ハースの「静物」。これはもはや筆舌に尽くし難い名曲の名演奏。3つのパートに分かれる第1部は、ブルックナーの交響曲第8番の輪郭であり、また影(のように僕は感じた)。何とも懐かしい音調。金管の神秘のコラールに続く第2部はいきなりミニマル音楽とショスタコーヴィチの掛け算。そして、第3部は、ブラックホールの体現であり、ほぼスタンリー・キューブリック的世界の表象。度肝を抜かれた(バスクラリネット、エスクラリネット、コントラバスクラリネット持替とは!!)。

ちなみに、モーリス・ラヴェルの「ラ・ヴァルス」は、死の影薫る悶絶の表情。溜めては吐き出し、吐き出しては溜める、というロシア的執拗な反復。打楽器は炸裂し、木管は絶妙な調べを奏し、金管は咆哮する。

生と死の一対。冷めやらぬ情熱は、常に内在する。
今夜のカンブルランは、顔を真っ赤に染め、必死に棒を振っていた。聴衆の反応も上出来。
「三」という数の神秘。完璧だ。

 

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