マゼール指揮ベルリン・フィルのツェムリンスキー抒情交響曲(1981.3録音)を聴いて思ふ

穏やかに、わが心よ、
甘美な別れの時にしよう。
それを終わらせず、成就しよう。
愛は思い出の中に
傷心は歌の中に溶かしてしまおう。
(石田一志/2018年9月改訳)

フィッシャー=ディースカウは名歌手だが、失恋の痛みを歌うにはやや知的で小難しいきらいがある。どうにもならない苦悩もこれほどまでに律儀であると、どこか興醒めなのである。しかし、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーの書いた音楽は(ホルンの虚ろな調べ!)、見事に憧れに満ち、滔々と流れる川の如く、傷心の男の心情を表現し、この上なく美しい。

一体、ロリン・マゼールという指揮者の感覚とはどんなものなのだろう?
おそらく賛否両論あろうが、作品に鋭く切り込み(多少作為的にせよ)、健康的であるにもかかわらず、圧倒的な官能を聴かせるという意味で右に出る者はいないのではないのか。そんなことを思わせる演奏だと僕は思う。

それに比して、妻であるユリア・ヴァラディの、外向的な、あっけらかんとした調子は、「女の恐ろしさ」を上手に表すものだ。しかし、やはりいずれにせよ音楽は退廃を示す。

最後の歌を歌い終えて
お別れいたしましょう、
夜があけましたら、この夜のことはお忘れください。
(石田一志/2018年9月改訳)

男の非力さ、男の弱さを痛感する。

・ツェムリンスキー:抒情交響曲作品18(管弦楽、ソプラノとバリトンのためのラビンドラナート・タゴールの詩による7つの歌)(1922-23)
ユリア・ヴァラディ(ソプラノ)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ロリン・マゼール指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1981.3.11-12録音)

抒情交響曲が、ツェムリンスキーの私小説的な作品であることはよく知られたこと。純真な彼は弄ばれたようなものだ。

その晩、私は作曲を教えてもらいたいと彼に頼んでみたところ彼は喜んだ、私もすくなからず・・・こうして私にとって熱意のこもった修業期間が始まった。その間なにもかもほかのいっさいは色あせたものとなった。ツェムリンスキーは醜悪な矮人であった。小さくて、頤がなく、歯は欠けていて、いつもカフェーの臭いをさせ、きたなかった・・・しかし彼の鋭く激しい精神のちからで、彼はこのうえもなく魅力的な人となっていた。
アルマ・マーラー=ウェルフェル/塚越敏・宮下啓三訳「わが愛の遍歴」(筑摩書房)P22

アルマの思わせぶりも大概だ。アルマは結局グスタフ・マーラーと結婚。「わが愛の遍歴」の1905年1月(マーラーは第7交響曲を作曲していた)の章には次のような記述がある。

いまはじめてツェムリンスキーの奇妙な様子がわかった—小さくて、歯が欠けていて、あごの骨端がない、それが彼の顔に小人のような恐ろしい表情を与えているのだ。「ツェムリンスキーの音楽にもあごがない」と、マーラーと私はよくそういっていた。反復、異名同音の返還、半音階ばかり、なんの感銘もわかない、残念なことだ。彼は能力がありすぎて、かえって彼のファンタジーを枯らしている。
~同上書P30

コロコロ変転する女心に翻弄された醜い作曲家の、苦い思い出を記憶の彼方に葬り去ろうとする断捨離音楽。互いに愛を語り、恋を歌う鏡となる2つの楽章、すなわち第3楽章と第4楽章が肝。あるいは、その官能を割って裂く短い第5楽章のあまりの熱狂が腎。

それにしても終楽章の儚さ、美しき浮遊感は明らかに「大地の歌」の影響下にあるもの。何だかとても悲しい。

 

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